季節の贈りもの
8月の彩り
 8月に入って2週間近く過ぎましたが、夏らしく煌く太陽を何回見たでしょうか。いつまでも梅雨のような天候が続いた後に台風の影響の大雨、追い討ちをかけるような地震、今年の夏は不穏です。今日は久しぶりに太陽が顔を出しました。濃い緑、紺碧の空、真っ白な入道雲、ごく当たり前の夏の風景が妙に新鮮に映ります。せめて残る夏の日々が良い思い出作りの期間になってほしいと願っています。
 この盛夏の日々に辛い思い出を重ねて、癒えることのない悲しみの中に過ごしていらっしゃる方々を思います。広島、長崎、終戦の月、そして亡き人々を迎え、語らう祈りの月でもあります。色鮮やかな夏の花々に、控えめな盆花のやさしさが加わる8月の彩りです。

 
8月の玄関

飾り棚
帆船と氷山

 ショーケースから
真夏の日差しには涼やかなガラス製品が似合います。
旅の折々に手に入れたものが主ですが。


おしどり:金沢

熱帯魚 左:ベネチュァ 右:シドニー

鷹:イギリス湖水地方

ベル:ダブリン

鈴蘭:釧路

ツリー:飛騨高山

お茶セット:京都

卵:ボストン
ぺアグラス 左からフィレンツェ、江戸切子、ヴェネチュア

フィンランド

 
夏がくれば・・・その1

 夏の声を聞くと、しきりに思い出され、すぐにでも飛んで行きたい思いに駆られる場所が2つあります。その一つ「長野県諏訪郡富士見町御射山神戸(みさやまごうど)」は中央線の富士見駅から北に4キロほどの山村です。ここは父の生まれ故郷ですけれど、父の生家はもうそこにはありません。でも私の心の中にはそこで過ごした日々の情景と共に、黒光りした大黒柱や奥座敷のしっとりとした空気、聳え立っていた庭の一本杉やもろこし畑を渡る風の音までその日そのままに在り続けています。

 夏休みの1ヶ月間をこの信州神戸の祖母の許で過ごすのが中学の1年の時から大学を卒業するまでの10年間の毎年の慣わしでした。夏になれば従兄弟達やもっと遠い親戚まで常に誰かがこの家を訪れてはいましたけれど、1ヶ月の間べったりと、しかも毎夏滞在するのは私だけでしたから、祖母も私の訪れを心待ちしてくれていたようです。一里の道程をバスも使わずに富士見の駅まで出迎えてくれるのが常でした。祖父は私が小学校1年のとき亡くなりましたから、広い家屋敷を働き者の祖母が1人で守っていました。過ごし難い東京の夏を避けて、気候も環境も良い信州で過ごすことに勝手に決めていた私を、祖母は小言も愚痴も自分の都合も言うことなく、ただ黙って受け入れ、甘やかしてくれました。家では3人の弟の姉として母から手助けも期待されていた私にとって、祖母に甘え放題の夏休みはこの上もなく居心地のよい逃げ場でもあったのだと思います。極寒の冬場に祖母が作った凍み豆腐や手の切れるような水で洗って漬け込んだ野沢菜や沢庵、そして梅漬(梅干ではなく)、山に入って祖母自ら収穫したたらの芽やじごぼう、ちい茸(乳茸:切り口から白い汁が出るので)、近くの清流からの岩魚やあめの魚など当時はそこでしか味わえなかった山、川の幸で沢山のご馳走が用意されていました。

 受験を控えた高校3年の夏休みはこの家のお蔵の2階が私の勉強部屋になりました。涼しい信州でも壁の厚いお蔵は格別に涼しく、食事に呼ばれた時だけ母屋に出向くという贅沢が許されておりました。受験を終えた従兄弟や又従兄弟達が遊びの誘いをかけにきても中から閂をして、小さな窓から入る涼風に当たりながらのまことに優雅な受験生は、500メートルほど先にあるゆるい傾斜の線路を蒸気機関車がゆっくり上る様を見ながら睡魔に逆らえないこともしばしばでした。座ることに飽きれば麦藁帽子を被り、腰にビクをつけて、胡瓜、トマト、ナスにもろこし、インゲンを収穫したり、唐松林を散歩したり、お蔵の前のめだかの泳ぐ小川に冷やしたスイカでお3時を楽しんだりとストレスとは全く無縁の受験の夏を過ごさせてもらったのでした。

 大学生になってからは夏ばかりでなく、山登りだスキーだと友人を誘って秋休みも冬休みも訪れ、相変わらず祖母の手を煩わせ続けておりました。祖母からは数限りない贈りものを受け取りながら、私からのお返しは何も出来ないうちに祖母は旅立ちました。私の結婚後間もなくのことでした。翌年の新盆には祖母から教えられた方法で祖母を迎え入れました。信州のお盆は、盆の入りの8月13日の夜、近くの川の橋の上からオンガラ(苧殻,麻殻)を焚いた迎え火で川面を照らしながら「盆様盆様この灯りでごうざれござれ」と迎えるのです。大勢の人が焚くオンガラの灯は川面を煌々と照らし出しておりました。精霊棚には茄子の牛、胡瓜の馬も添えました。

 住む人の居なくなった神戸の家はその5年後に人手に渡り、移築されました。当時を偲ばせるものは何も無い跡地に唯一つ古い井戸がぽつんと置き去りにされたように今も残っています。かっては従兄弟達とポンプを押して交替で顔を洗った井戸です。お盆になっても戻る場所の無くなった祖父母を父も亡き今は我が家に迎えるようになりました。夫を迎えるのと同じ日に。近くに川がありませんので門口に置いた焙烙の上でオンガラを焚き、「この灯りでごうざれござれ」とやっています。この家に不案内な祖父母が迷わないようにと目印の門灯や花壇のライトも忘れずに全部点します。ところで「ごうざれござれ」と丁寧にお迎えした盆様方ですのに16日の盆明けには「この灯りでけえれ、けえれ」となります。盆様方が後ろ髪引かれるのを断ち切るためなのでしょうか、それとも残るこちら側の引き止めたい思いを諦めさせるためなのでしょうか、いつも申し訳ないような淋しいような気持で唱えます。我が家の「盆の入り」は、普通より一日早く、夫が旅立った8月12日。懐かしい人達と時間を共有する5日間です。
 

今も昔のままに長閑かな御射山神戸の風景、後は入笠山



お蔵の小さな窓から毎日眺めた唐松林 50年前と変わらぬ風景です。

今も敷地内に残る古井戸


夏がくれば・・・その2

 「ウヮーン」とあたり一面を包み込むような油蝉の声に目覚めれば、ようやく白みかけたまだ5時過ぎ、朝凪で空気はピタリと止まっています。ここは夫の郷里、山口県宇部市東琴芝、宇部空港から北西に4キロほど入った高台に夫の生家はあります。夫が生まれた頃のままにきちんと保たれ、今も変わらず誰に対しても両手を広げて迎え入れてくれる大きなやさしいゆりかごです。

  信州での夏を引き継ぐように、夏休みの度に帰宇するようになったのは結婚した次の年からです。家族が増えてからは、梅雨明けと共に荷作りを始め、私と子供達とは夏になるやいなや宇部へ向かうのが慣わしとなりました。夫は七人兄弟姉妹でしたから、子供達には20人の従兄弟、従姉妹がいたのです。その内のかなりの子供達が夏の宇部に集合するのですから、その賑やかなことといったらありません。その子達をゆったりと迎え入れてくれる祖父母の存在があってこその宇部の夏でした。私にとっての信州のように、宇部は年毎に子供達の大切な場所になって行きました。

  小さな子供達にとって、庇が長く奥までは日差しが届かぬ広間が並び、それをぐるりと廻り廊下が囲むこの家は、かくれんぼ、鬼ごっこ、お化けごっこと何でも出来る計り知れないほどに大きく神秘的な場所だったようです。自分の未だ知らないところもありそうに秘密めいていて、それだけに怖さもあったのでしょう。夜はお互いに誘いあってトイレに行っていたようです。雨戸も障子も閉めずにやすむ寝室の蚊帳を通して見る庭は黒く静まりかえり、何かが動く気配にびくっとする思いは大人の私でさえありました。「女の人が廊下をスーッと通った」とか「奥の座敷に知らない人が座っていた」という類の話を子供達はよくしていましたし「蛙を捕まえて見ていたらそれがビューンと空に向かって飛んで行った。みんな見ていたんだ」と本気にしてくれない大人達にその情景を伝えようと子供達は真剣でした。彼らは本当にそうした経験をし、人間を越えたものの力や存在を信じていたのだろうと思います。

   子供達全員を引き連れての宇部行きは、上の子が大学に通うようになってからは自然消滅して、行きたい人が自分の都合に合わせて帰宇するようにと変わっていきました。そしてその頃から新田を囲む環境も少しづつ変化していったのです。蛙が飛んだ田んぼは舅が亡くなった後に宅地に替り、鮒や鯰釣りを楽しんでいた池は埋め立てられて駐車場になりました。

  宇部のお盆も8月の旧盆です。でもここでオンガラを焚いての迎え火、送り火を見たことも胡瓜の馬や茄子の牛を作った覚えもありません。信心深い夫の母は朝夕のお勤めを欠かさず、お初さま(その日に焚いた最初のご飯)を供えるのが普段からの日課です。そしてお盆には「仏様が帰られるから」と母が心を込めて用意した料理を小さなお膳に配して供え、盆提灯を点します。そして御寺様(母はご住職をこう呼びます)に下がって頂き(高い場所から下りて来ていただくという意味のようです)お盆のお経をあげていただきます。

 「盆の入り」より一日早く帰宅する夫は、お盆の間に息子を待ちわびる母の許に帰省することでしょう。高校時代から東京で過ごした夫は、夏休みの帰省をとても楽しみにしておりましたから。年月が流れ、夏の間宇部で遊びほうけていた母の20人の孫達が次々に家庭を築き、曾孫達が顔を見せるようになりました。少しずつ顔ぶれは替りながらも夏の宇部新田は相変わらず賑やかです。母のやさしい笑顔が皆を迎え入れてくれる日が何時までも続きますようにとその願いを夫に託しています。
 

門から表玄関、内玄関へのアプローチ

表玄関

表玄関内

表の庭への入り口

表の庭

表庭,中庭のそこここで子供達を怖がらせたものたち



奥座敷

天井の浸み、木目、鴨居も想像の源
 


 
真夏の花壇
春に植え込んだ花が、梅雨の間にほぼ全滅してしまい、7月に総入れ
替えをしました。こんなに冴えない夏の天候の中でもその夏花達が
今最盛期を迎えています。赤ばかりがいやに目立ちますが。

庭の宿根草
花壇には色鮮やかな夏花が溢れていますけれど、庭にはもう秋草が
咲き始めました。信州で盆花として使われるみそ萩や秋の七草など
です。色も咲き方も控えめですが涼風を感じさせてくれる花たちです。


みそ萩

女郎花

撫子

桔梗

竜胆

秋桜
 

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