季節の贈りもの
6月の彩り

 6月10日に気象庁から梅雨入り宣言がありました。昨年よりは12日遅かった由。降らない日でも空が重く、その下で紫陽花だけが日毎に元気と色を増してきています。庭の緑はますます濃く、鬱蒼とした眺めです。
 外出には不向きですが、小雨降る、少し涼しい梅雨の日々が私は嫌いではありません。子供の頃住んでいた清水の小高い家の窓からは一面に広がる水田が居ながらにして一望できました。学校から帰ると、低い出窓の前に正座して、ガラス戸を開け放ち、蓑・笠姿のお百姓さんが黙々と田植えをする様子を飽かず眺めておりました。
 小雨の日は音が少なくて落ち着きます。それにこの季節ならではの楽しみもあります。庭にヒキガエルが何匹も出てきて寛いでいたり、露を沢山つけた紫陽花の葉の裏にカタツムリや小さなアマガエルの姿を見かけたり、雨上がりには鶯の鳴き声がひときわ冴えて響いたりと。暫くの間しっとりとした空気とそれに似合う紫陽花の彩を楽しみたいと思います。 


 
手毬花

焼成温度:950℃

 
6月の玄関
6月は水鳥たちの子育ての時期のようです。仲の良いことの代名詞のように言われている
オシドリですが、実は他のかも類と同じように抱卵、子育ては雌に任せて、雄はさっさと
いずこへか行ってしまうとか、おまけに次の年はお相手も替えてしまうことが多いそうです。
それに引替え、サギの仲間は抱卵も雄雌交代で行い、一夫一妻を保つと聞きます。

6月のショーケースから

 日本は湿った空気に包まれている6月ですが、欧、米(東海岸)では1年の内でも最も気候が良く、美しい季節のところが多いようです。June Brideの名の通りこの月に新家庭を持つ人達が多いのも事実のようです。プレゼントにねずみの置物が喜ばれると聞きましたが、これは日本流に言えば子孫繁栄のおまじないでしょうか。友人の息子さんの結婚祝いにとボストン郊外コンコードの「ねずみの置物」だけを売っている店に買い物に行ったことがあります。あまりに可愛いので目的を忘れて自分のコレクション用にねずみファミリーの置物を買いました。6月のショーケースにはこのねずみ達が顔を出します。

 
Noah
 「ナナ」と電話口でNoahが囁きます。「ノア?」と聞けば「はい」。ようやく電話をピポパポと押して遊ぶものではなく、話を繋ぐものと分かり始めたノアは今月9日に2歳になります。心臓に穴が3つあると告げられたのは誕生から3日目、退院の早いアメリカで、退院のための総合検査の結果でした。その後2週間のNICUでの生活。消毒服に身を包んで、手をごしごしと洗い、その都度許可を得てノアに会う日々の後帰宅が許されました。「3歳位になった時に手術を考える必要があるだろう」との医師の話でした。退院後もナースが週2回家庭訪問する生活でしたが、本人は顔色も良く食欲もあって、私はあまり心配を残さず7月中旬帰国したのでした。その直後の8月、そして暮、翌年もそれを繰り返して計4回になる20時間の日本への旅も何の問題も無くこなし、その都度元気に大きくなっていきます。先日の検査では穴は自然に2つ塞がり、心配な状況は無いとの診断だった由、人間の体は摩訶不思議です。それにしてもアメリカの医学の専門分野の細分化には驚きを覚えます。新生児心臓外科が産科のある総合病院には置かれている場合が多いとのこと。アメリカでの出産を選択したことはノアの幸運でした。Noahは日本語では「乃吾」と書きます。本人の伯父に当たる私の長男が「なんじすなわち吾であれ」「自分を見失うな」の願いを込めて付けたのだそうです。娘から送られてきたビデオの中の私の「お気に入り」にはこんな会話が入っています。息子のためにハーモニカを吹き終った父親に
ノア「イエーイ」と拍手、そして「モア」
父親「Do you want more?」 
ノア「はい」
父親「ほんと?(Really?)」 
ノア「オーヤー(Oh, yes)」
父親「OK」
ノア「あいがと」
 娘はデイケアに息子を預ける際、言葉の対照表をお弁当と一緒にチューターに渡したそうです。「ちょうだい」「あった、あった」「ひこーき」「でんしゃ」「しゅっしゅぽっぽ」「おはよう」「ありがと」・・・デイケアの先生達にはチンプンカンプンでしょうから。娘と話す電話口からノアの「ウップス」「オッオー」と言っている声が流れました。

 
投函しないカード

(父の日が近づいて)

 今年も父へのカードを書き始めました。そしてまたそっと「思い出箱」に納めるつもりです。出さないカードは今年で6枚目になります。父が旅立ったのは2003年6月30日。1日に肺炎を発症して一ヶ月、父らしいけじめのつけ方で静かに93年11ヶ月の生涯を閉じました。

 「四角い部屋を丸く掃いては掃除とは言えないよ」「姿勢が悪い、背中に物差しを入れて直しなさい」「なぜ?どうして?とすぐ人にものを尋ねないで、まず自分でよく考えてみなさい」「自分がされて嫌なことは人にもしないこと、人の立場になって物を考えなさい」と幼い頃から父に言われた言葉の一つ一つが、今でも私の言動の判断基準になっていると思います。その都度実行出来ているか否かについては返事を躊躇いますが。日頃は寡黙で、家族の会話を傍でにこにこと聞いていることの多い父でしたから、それだけに父が口にする言葉には無駄が無く、重みがありました。誰の話にも耳を傾け、相談に乗る父の許には、会社の部下や私の従兄弟達など若い人達の訪れも絶えませんでした。「琵琶湖周航の歌」「都ぞ弥生」「デカンショ節」など私の友人達は誰も知らない歌を父と一緒に口ずさみ、エイト(ボート)やラグビー観戦の楽しさも父から教えてもらいました。父は旧制中学時代ボート部のメンバーとして、エイトの7番を漕いでいたそうです。その頃のアルバムには、長いオールを片手にずらりと並ぶ、白い鉢巻姿の8人の若者や剣道着に面をつけ、相手と太刀を合わせているものなど父の青春時代を偲ばせるものが沢山あり、その古びた白黒アルバムを閑さえあれば眺めていた時期が私にはありました。

 私が家庭を持ち、3人の子供の親となってからは父は私だけでなく、夫や子供達の支えにもなってくれました。ゆとりのない私とは異なり、父の勉強の教え方は子供達に大好評でした。特に娘にとっては進学のこと、友人のこと、アルバイト先のトラブルのことなど何でも相談できる先生以上、いいちゃま(おじいちゃま)以上の大きな、大きな存在だったようです。そして夫にとっては仕事の理解者であり、「僕の守り神さま」でさえありました。夫の18回の手術の17回まで立ち会ってくれ、その都度夫は元気に戻ってこられたのですから。

 その父が、愛弟子でもあった孫娘の学位授与式(commencement)と祝賀会に列席するために1995年6月単身渡米してくれました。父85歳の時のことです。大学のグラウンドでの4時間にわたる式典に、配られた校章入りの野球帽を被り、後からの強い日差しよけに首に手拭を巻き、白いYシャツの袖捲り姿で参加し、ガウンに房付きの四角い帽子姿の学生達が、最後にその帽子を歓声と共に空高く放り上げる様子を、それはそれは楽しそうに眺めておりました。お互いに抱き合って祝福しあう学生、自分の家族に大声で呼びかけ両手を振る学生、恋人に投げキスを送る学生、日本の卒業式風景とはまるで異なる雰囲気は、参加者全員が楽しむお祭りの様相を呈しておりました。そして混雑にもみくちゃになりながらハンバーガーとコーラの昼食後、着替えのために一旦帰宅しました。大いに意気上がっている父は疲れも見せず、その日のために新調したというグレーのダブルのスーツに身を包み「どお?」と胸を張ってみせました。夕方からの祝賀会に参加するための正装です。日本からMikaの85歳のG.F.が来たと、みなさんから大歓迎を受け、娘の指導教授とは固い握手とハグを交わしておりました。実は父の愛弟子は学生時代にはボート部に入り、チャールス・リヴァーでエイトを漕いでもいたのです。父は「太腿が大きくなるよ」と心配しながらもうれしそうでした。

 卒業式の翌日からナイヤガラの瀧へのドライヴに父、夫、私、娘の4人で出かけました。壮大な眺めをアメリカ側とカナダ側から眺め、派手なブルーの雨合羽をすっぽり被って、瀧の下を船でくぐるエキサイティングな体験もしました。若い時はスポーツで鍛え、その後何十年も柔軟体操や乾布摩擦を欠かさずに続けてきた父が、85歳のその時でさえ体力も気力も充実していることに今更ながら驚かされる旅でもありました。

 それから8年後、父が入院して、私は枕辺で音楽を聴きながら父と過ごす時間が次第に長くなっていきました。そんなある日「今一番したいことはなあに?」と問いかけましたら「ナイヤガラの飛沫をまた浴びてみたいね。それからレキシントンの家の庭にボクが植えた花が今どうなっているか見てみたいよ」との返事が返ってきました。真っ赤なスポーツシャツに白いズボン、つば広のゴルフ帽にスニーカー姿で散歩をしたり、庭いじるをする父に、「ハイ」と声をかけて来る人達と「良い天気だね」から始まって、立ち話が弾む、そんな気軽で明るいアメリカでの人付き合いが父は気に入っていたようでした。

 間もなく父の7回忌です。父の愛弟子達や父を慕う甥、姪達が大勢集います。全てから解き放たれて、父は今何処のどのような風景の中に身を置いているのでしょうか。私たちの思いは届いているのでしょうか。懐かしい出来ごとの詰まったアルバムを繰りながら、想いをめぐらせる6月の日々です。


 
紫陽花色のFantasy

 紫陽花色は七変化、花言葉は「移り気」「心変わり」「高慢」「無情」 「冷淡」そしてそれらの対極にあるような
「ひたむきな愛情」「辛抱強い愛情」といったものもあるようです。人それぞれに受ける印象の異なる花なので
しょうか。私は誇り高く、ちょっと気まぐれな、着物姿の美しい人を連想します。虞美人草の藤尾のような。
紫陽花の名所では、鞠のように大きく、多彩な花が咲き競っていますけれど、全体の印象は上品で、少しも
鬱陶しさを感じさせません。この色の繊細さ、微妙さ、なにやら幻想的ではありませんか?


紫陽花風景 
紫陽花はやはり日差しよりも雨のほうが似合います。それに鎌倉は紫陽花の名所が沢山ありますだけに、
この時期は何としてもお人が多すぎます。自分もその一人ですから文句は言えませんけれど、晴れた日に
人を入れずに花だけを写すのは容易ではありません。何ヶ所も廻る気にはなれず、まあまあの写真が手に
入ったところで引き上げました。                             鎌倉長谷地区 6月13日

   

 
6月の花壇
玄関周りの花壇の花をパンジーからヴィンカとバーベナに入れ替えました。湿気が多くなって
ナメクジが増え、花を嘗め回すのが困りものです。ナメクジはビールが好きなのをご存知ですか?
そこここに残りビールを置いておきます。秋口まで元気に咲き続けてくれると良いのですが。

庭の花たち
6月は紫陽花が主流のように思いますけれど、薔薇が見事な季節でもありますね。
私の薔薇は手入れが悪くて花数もそれに応じて少なめですが、でも律儀に毎年
顔を見せてくれます。紫陽花も然りです。庭の草木は雨のお陰で生き生きとして
いますし、雑草はもっと元気で、芝生を覆い尽くさんばかりです。
いまや芝刈り機は草刈り機へと変じています。

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