May
Bride
夫は担当医師から車の運転を3月の時点で止められていました。でもそんなことは少しも意に介さず「自分のことは自分が一番よく分かるよ」と娘の披露宴の打ち合わせに丸の内のホテルへ、ドレスの試着に付き合って麻布へ、青山墓地の桜トンネルを端から端まで見せてくれたこともありました。「ここが東京で一番さくらが綺麗な所だと思うよ」と。式の間に何の支障も起こらないようにと、その前一週間を日赤医療センターに通い続け、考えられる手立ては全て尽くして当日を迎えたのでした。2005年5月末のことです。親族21人を英語で紹介するのに、もしもを懸念して控える私の出番はなく、総てを休まず一人でやり通し、新婦の父としての挨拶も長男を通訳として、滞ることなくやり遂げました。プロのハープ奏者である新郎の姉、アボリジニの楽器ディジャディドゥの演奏家の新郎の友人それぞれの演奏とデュエットの見事さに夫は「こんなに聴き応えのあるコンサートはめったに無いね」と宴を心から満喫しておりました。それからの3ヶ月の間、その時の調べは夫の心の中でずっと響き続けていたようです。ふとした時に何とも言えないやわらかい笑みが顔をよぎることがありましたから。娘達の新婚旅行は京都でしたが、そこに新郎の友人5人と義妹が合流して、娘はさながらツアーコンダクター兼通訳で過ごしたと話すのを大層愉快そうに聞いてもおりました。どんな時にも穏やかさを保って過ごした夫との時間は、限りある日々でさえも温もりに充ちておりました。5月は若緑と花々の色、そしてドレスとブーケの白と多彩です。
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