季節の贈りもの
2月の彩り

 2月といえば東京でも毎年必ず何度か雪かきをした覚えがあります。でも今年は、年明けから雪はおろか雨も少なく、庭はカラカラで水撒きもしばしばでした。2月3日の節分、そして4日の立春と季節はどんどん進んで、今日この頃は日差しもすっかり春の明るさです。庭には冬越しした花達が顔を見せ始めました。ボストンの娘からは雪の便りが届きます。気温は昼間でも零下10℃〜20℃。毎日雪が降り積もり、雪掻きに追われていると。穏やかな天候の東京に住むありがたさに気付きます。冬色と春色が入り混じる二月の彩です。


 
節 分
 私が幼い頃、衣服を改めて豆をまくのは何時も父の役割でした。3人の弟は鬼の面を被り「鬼は外」と父に追われて楽しそうに逃げ回っていました。母と私は福の神の役割だったのか、追いかけっこには加わらず傍観者を決め込んでおりました。開け放った窓から忍び寄る夜の冷気に肩をすぼめながら。そして最後に自分の年齢だけの豆を頬張ることでこの行事は締めくくられました。豆まきのお陰でしょうか、父は93歳まで心身ともに健康に過ごせましたし、母は91歳の今も健在です。家庭を持ってからも節分の行事は我が家に引き継がれました。でもわが夫は子供の起きている時間に家に居ることはありませんでしたから、豆まきの役割はもっぱら私が代行しておりました。子供達が鬼であることに変わりはありませんでしたけれど、福の神役がいませんでしたから、そのご利益は少なかったかもしれません。家族が私と次男だけになりました今は豆まき役は次男が引き継いでやっています。あちこちから聞こえていた子供達のはしゃぎ声や「鬼は外」の声は、もうどこからも聞こえてはきません。窓は今も変わらず大きく開け放っていますのに。口に頬張る豆は香ばしく、昔の味がします。年の数ほどまでは頑張りませんが。 



青鬼(925℃焼成)

 
春の先駆け(2月4日)

庭の紅梅より一足早く小さな鉢植えの紅梅が7分咲きになりました。
鉢:(志野と瀬戸黒釉1200℃還元焼成)

 
2月の玄関飾り棚
 ニューオーリンズに行った折に手に入れたものを中心にした白基調のディスプレイです。マスクはカソリックの宗教行事謝肉祭の最終日マルディグラ(今年は2月24日)の仮面舞踏会に使うもののミニチュアです。とても美しく魅惑的です。かって一度だけ仮面舞踏会に招待を受けて覗いたことがあります。それぞれに趣向を凝らした仮面や衣装に身を包んで踊る背高く、スタイルの美しい人たちに見惚れておりました。日本人の私達には馴染みがない場に戸惑いもありましたけれど、物語の世界に紛れ込んだようなエキサイティングな一夜ではありました。

 
 2月のショーケース

白基調ショーケース

スケート少年

樹氷 雪玉

スノーマン

スキーに乗ったスノーマン

ニューイングランドの冬
薪の上の赤い鳥はアメリカンカーディナル、雪の上に時折姿を現します。

 
2月に心を過ぎること

 2月には忘れられない思い出があります。ボストンから戻って9ヶ月たった1998年2月3日のことです。日赤に入院中の夫はアスペルギルスによる肺炎のために高熱が続いておりました。夫に付き添って泊り込んでいました私は、3日の朝、夫を担当していた医師達に呼ばれました。医師達の話の趣旨は「肺の症状の改善が見られない上に治療に使っているアンフォテりシンの副作用によって腎臓が持ちこたえる限界を越えている。薬の使用の中止を認めてほしい」というものでした。アンフォテリシンは唯一のアスペルの治療薬です。それを止めるということは、とりもなおさず夫の命を諦めてほしいという意味でした。夫が必死に頑張っているのにです。医師の判断は危険信号を出している腎臓の検査結果や全身状態の悪化に重点を置いたものでした。でも私は承服出来ません。夫は今までも諦めることなく、ずっと辛い治療に耐えて、病と闘い続けてきたのです。危ない橋を渡ることを恐れて命の尽きるのを何もせず待つような選択をする人ではありません。本人の意志を聞いてほしいという私に医師達は首を縦に振りません。ですから私が代わりに答えました。「腎臓がこれ以上の薬の使用に耐えられるか否かはやってみなければわからない。夫は治るという信念で闘っている。今の量で効果が無いのであれば、薬の量をもう少し増やして続けてほしい」と。その直後から薬の量が増やされました。医師達の懸念通りであれば、夫の腎臓は更に悪化し、肺の症状の改善は期待できないということです。最悪のことを覚悟して、私はまんじりともせず夫の傍で検温を繰り返しておりました。糸がピンと張り詰めたような一晩でした。4日の明け方4時頃、体温計を見て私は自分の目を疑いました。今まで38度台を下らなかった数値が37、2度を示していたのです。大量のアンフォテリシンがさしもの頑強なアスペルギルス菌を遂に撃退してくれた瞬間でした。寝もやらず父を見守っていた次男、娘と共に、歓声をこらえながら手を取り合いました。夫の頑張りと私達の祈りが天に通じたのでしょう。「奇跡」という言葉が私の心に添いました。折しも誕生日をその日に迎えた次男にはこの出来事はこの上もない贈りものとなりました。そして3日にボストンへ戻る飛行機をキャンセルして父に付き添った娘は、地獄の後に齎された福音に安堵してその日のうちに戻って行きました。2月4日春立つ朝に病室の窓から仰いだ金色の輝きは、忘れられない2月の彩りとなりました。


2009年2月6日 2階の窓から


 
2月の庭
 立春を過ぎる頃から急に日差しに明るさが増してきました。でも朝夕はまだ風がとても冷たく感じられますのに庭の花々はもう敏感に春を感じ取っているようです。冷たい風の中で可憐な花を咲かせる宿根草も出てきましたし、寒さに耐えて冬越しした花壇の花も急に生き生きとし始めています。まだ少し早過ぎると思うのですが、花壇の中で冬眠していた住みつきのヒキガエルが、もう大きな穴を残して姿を消してしまいました。自然の中に身を晒して生きるものたちは空気の変化をいち早く感じ取って、それに応えて行動を始めるのですね。コートに身を包んで、体を縮めている自分の鈍感さを思います。

今年は庭の梅の開花が例年より早く、2月10日にはほぼ満開になりまりました。
つがいの鶯は1月末から庭の茂みをすばやく動き回っています。初音も間近でしょう。
  庭の宿根草

真っ先に咲き始める濃紫の菫
花壇の洋花(昨秋植え込み)

満開のプリムラ

落ち葉をかき分けて咲くユリ科の小花ムスカリ

冬の彩り、霜が降りても枯れないジュリアン

地中から次々蕾をもたげるクリスマスローズ

寒さに強いガーデンシクラメン。
2月12日撮影

 
でも一方で
同じ日に娘から送られてきたボストン郊外の風景です。見ているだけで寒くなる世界ですね。春の訪れはまだ遥か先の5月初旬、2月の彩りは様々です。

窓からの風景

雪解け水が屋根から落ちながら凍り、氷柱になったものです。

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