3月の彩り(1) |
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雛祭りといえば忘れられないことが二つあります。その一つは、母が催した「ダンスの発表会」です。踊ることが大好きで、バレリーナになるのが夢だったという母は、3歳の頃から私に踊りやバレーを習わせておりました。戦争で中断してそのままになり、私はそのことを少しも残念に思いませんでしたが、母は踊ることへの思いを大切にしていたのでしょう。雛祭りの日にご近所の方々を招き、母の振り付け、母の手作りの衣装でのダンスの発表会を催したことがありました。1947、8年頃の清水でのことです。私は「雨降りお月さん」と「月の砂漠」を、弟達は「小さな魚屋さん」「おサルの駕や」をレコードに合わせて踊りました。観に来て下さった皆さんが並ぶ庭先は、はこべやクローバーに混じって、すみれ、たんぽぽ、れんげ草が咲き乱れ、さながら色とりどりの花絨毯を敷き詰めたようでした。今でも早春の風の中にあの時の草の匂いを確かに感ずることがあります。 二つ目は、雛達が夜中に鉦や鼓で舞うのを突き止めようと布団の中で息を潜めて人形の気配を窺っていたことです。でもどんなに頑張ってもいつの間にか眠ってしまい、翌朝にいつも残念な思いがしておりました。雛人形を飾る期間は3日間ほどでしたからその都度機会を逸して今日に至りましたけれど、今でも人形達は人の寝静まるのを待って密かに奏で、舞っているのではと思えてなりません。もっとも「草木も眠る丑三つ時」というものがなくなってしまいましたから、雛はもう舞うチャンスはないのかもしれませんが。 |
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![]() 大内家ゆかりの大内塗りの雛人形です。結婚祝いに姑が用意してくれたものです。46年間 花遊びの屏風と共に大切にしています。雛用に小さな花入を用意しました(辰砂1200℃還元焼成) |
いずれもお土産や贈りものとしていただいたものです。 一年に一度、それも数日しか飾れないのが残念です。
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