皐月の歌  今月の一首


2020年5月



今 年の始めに妙な風邪が流行っているというニュースが耳に入るようになりました。発祥地は中国の武漢の食品市場だと。すぐに中国が春節に入 り、直行便が大勢の人を日本に運び入れる様子に、危惧を抱いていたのです。でも実態は想像をはるかに越える事態となりました。日が経つにつれて患 者は増え続け、アジアの病としてアジア人を差別していた欧米はおろか世界の隅々までこの病はじわじわと浸透していきました。その名は新型肺炎コロナ、それ から4か月、東京は今も緊 急事態宣言下です。アメリカの状況は更に凄まじいもの、終息のめどが付きません。父や母たちがこの状態の東京に居て、この病に関わったらと考えると背筋が 凍る思いがします。いつまでもいてほしかったと思う心と裏腹に、この苦難は、味わってほしくなかったとの思いもあります。静かな茶室 に花を生け、母と語らうことが多くなりました。私達の健康は亡き慕わしき方々の守りの許にあると思う日々です。


2018年5月


ひめしゃらの白き花々訪ふ日令和となりしひと月思う


5 月1日、年号が令和へと替わりました。それに先立ち平成天皇の退位の式典が行われ、前天皇ご夫妻は、惜しまれつつ上皇、上皇后となられ、新天皇、皇后の誕 生となりました。馴染んだ平成からなかなか抜けきらず、日記には相も変わらず、H.31年と何の抵抗もなく書き続けた一ヵ月、昨日改めてR.1年と書き改 めたことでした。今朝のこと、何気なく見上げた姫沙羅の木に、小さな椿に似た白花が咲いているのに気づきました。梅雨の頃に咲き始めるこの花が五月晴の空 に咲く様に、何とはなしに時代のさりげない交代を感じて、思うこと多でした。



2017年5月

五月雨の庭に織りなす早緑に山法師の白際立ちており


突 然真夏日の到来の日もあれば、翌日は一気に10℃も気温の下がる時もある大揺れの皐月の日々です。気温に左右されて、花t時を早めてしまう花もあれば、泰 然自若として自分のペースを守る花もあり、人も花も似たようなものです。桜が去ればそれを引き継ぐようにツツジ、ハナミズキ、藤、ウツギと途切れることな く春の花たちがその美を披露してくれました。五月雨が庭を潤す昨今は、翠の中に浮かぶ山法師が時の花、梅雨の気配が漂い始め、紫陽花の蕾が膨らみ始めまし た。花々の彩と共に、時は音もなく流れていきます。




2016年5月

晴れやかに朝日に憩う紅ばらに若き緑の衣やさしき


5月は潤いと気温に恵まれて、様々の花たちがその花時を迎えます。花菖蒲、あやめ、カキツバタを皮切りに、藤、躑躅、うつぎ、ハナミズキ、ヤマボウシと切れ間なく花の盛りが続きます。
薔薇もまた然り、咲き揃う薔薇の彩と香りが、爽やかな緑の風の中で、ひときわ芳しく美しい。
我が家の庭にもこの時期は大輪の薔薇からあどけない野薔薇まで、庭のそこここにその可憐な姿を見せてくれます。
折しも若い緑が広がり、深紅の薔薇によく映る、緑のドレスのように、薔薇を際立たせています。


2015年5月

翳りなきさつきの光糧となし色重ねゆく若き石楠花




お天気続きの大型連休も今日が最後、真夏日が続いた珍しい皐月の日々でした。
暑さと水枯れで弱る木や花がある中で、陽ざしにまっすぐ向き合って、ひるむことなく、光を吸収するかのように赤色を増していったのは若い石楠花の花。
7年前に甥の入学祝を記念して、義妹から贈られた、高さ一メートルほどの若木です。
二年前から花を一輪だけ咲かせ始めて、今年は大輪を三つ付けました。
直径が20センチもある見事なもの、GWの間中咲き続けて、庭をにぎわしてくれました。
同じころに盛りとなった紅い躑躅とひと時は華やかな競演を見せてくれましたけれど、躑躅はもうすっかり枯れ果て、今は、茶色い花殻を残すだけとなりました。
残った石楠花は、今も現役、色あせることもなく、庭の女王の座を保っています。まだ数日は楽しめることでしょう。





2014年5月

今月の一首


空港のわかれの余韻ある吾にやわらかなりき皐月の庭の



4月の末、10日余りの間ボストンへ行ってきました。
一週間くらい前にようやく雪が融け切ったという郊外には、雪溶け水が作る池や水たまりが随所にあって、冬が去ったばかりの空気の冷たさが辺りを包んでいました。

Easter Sunday,Patriot Day とevent が続き、春を待ち侘びた人々が外へ外へと繰りだし、街が春の飾り付けに充ち溢れる時期でした。
本ものの春がやって来たのはわずかその10日後、私がボストンを去る頃には蕾だったマグノリアも桜も桃も満開、雪国の春は駆け足でやって来ているようでした。

 私がボストンを発つ日見送りに来た孫の乃吾が「僕も一緒に日本へ行く」と縋り付いて離れませんでした。
その切なさを抱えて帰国して読んだ一首です。別れはいつもいくばくかの哀惜がつきまとい、その余韻がしばらくは胸の中から消えません。








2013年5月

今月の一首

五月雨の名残とどめてさやかなり翠の風のふき渡る庭は




朝まで残っていた五月雨が、昼前に上がりました。
雲はあっという間に払われて、雨など忘れたように
眩しい陽射しが庭を照らし始めました。

 カメラ片手に庭に出てみると、木々の葉も花たちも、
まだ雨の滴を抱えたままです。
風が吹き抜けて、みどりなす木々が大きく揺さぶられ、
滴がこぼれ落ちました。

若いみどりも色さまざま、風に吹かれるたびに、
キラキラと瞬きます。
風薫る皐月、心までみどり色に染まりそうです。

 


 

2012年5月

5月の歌二首
 
 


卆寿越えしふたりの母の輝きを祝いて赤き薔薇を贈らむ


 
 
 

 私には自分の母、夫の母、二人の元気な母がいます。
 私の母は来月94歳、夫の母は10月に98歳になります。数えで云えば99歳白寿です。盛大にお祝いしようと夫の兄弟姉妹と相談しているところです。
 二人の母に共通していることは、
人の悪口を言わないこと、いつも周りに感謝して過ごしていること、食べものの好き嫌いがないことです。致命的な大病をしなかった幸運は大きいとしても、長 寿を得るのは、本人の心がけに負うところが大きいのだと、二人を見ていて思います。
 母の日が近づきました。二人の更なる長寿と幸せを祈って、今年は真っ赤な薔薇を贈ろうと思います。
 

 


 
 

稚児の百合黄花ほうちゃく鳴子ゆり幼な草さく皐月の苑に



 
 

庭は若々しい緑に包まれて心地良く、花壇には彩が溢れんばかりです。

その賑やかな花壇の反対側に、空を突いて立つやまぼうしの木があります。
この木を植えたのは13年前。その時に木の根元を囲むように、小さな花苑を作りま した。自然石でぐるりと囲いをして。陽があまり当らないこの場所に、母から贈られた山野草や茶花を植え込みました。

毎年子供の日が近づくこの頃になると、私の待ちわびている3種類の花が可愛 い姿を見せてくれます。
名前もゆかしい稚児百合、黄花宝鐸(鈴)草、鳴子(揺らして音を出す農具)百 合、。どれもとても小さくて、それぞれ1cm足らず、いたいけな幼子のようにあどけない面ざしです。

近づいて覗き込まなければ、見落としてしまいそうな彼らをいち早く見つけた くて、この時期は毎朝花苑通いです。



 
 

2011年5月

5月の一首
 

幼な子の面ざし映す武者人形に乃吾ちゃん元気と声かけてみる


 
 緑が思いがけないほどにふくらんで、にわかに庭が狭く感じられる季節になりました。
 あれほどに躊躇っていた春は、動き出せば堰を切ったように勢いを増し、気温も時に夏日です。電力不足の私達には夏の暑さはwelcomeとは参りません が。
 あれから50日が過ぎました。物事は少しづつでも良い方向に歩みだしているのでしょうか。ゴールデンウイークはボランティアとして働きたいと、 東北地方に若者が集まっていると聞きます。善意とそれを心から必要としている方々とが、うまく巡り会えることを祈っています。若い人たちのやさしさは、こ れからの日本の支えです。何も出来ない私は、ただの応援団ですが。
 乃吾と約束していた5月のボストン訪問は、私の事情で延期となりました。予定していた足代の一部を、日赤に届けました。
彼とは稚児人形とskypeで会っています。
  

 

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