二月の歌

2020年2月の一首



春 めいた天候が続き、辛抱強く冬を耐えていた花たちが、一斉にほころび始めました。待ちかねた命の季節の到来です。寒さが残る頃から訪れる紅白梅、そして木 瓜。陽ざしがぬるむ頃に蕾を持ち、寒が去るのを待ちかねたように綻ぶ春椿、もう直ぐ乙女椿も訪れてくれることでしょう。
日本の四季はゆたかですね。季節の移ろいは、いつも花たち彩られてながら流れて行きます。
節分、立春、雛の節句、昔を今に繋ぐ行事の多い春の日々は、懐かしい思い出に繋がる昔返りの日々でもあります。




202019年2月の一首


桃花生け女雛男雛を並べれば春は宿りぬ掌に心に


桃 の節句が近づきました。例年押入れ上段から雛人形一式の長持を下すのが一苦労、日曜日に息子の手を借りて支度に入りました。と言っても結局飾ったのは内裏 雛と三人官女だけ。それでも昔と変わらぬ人形たちを眺めていれば、若い両親の雛飾る楽し気な様子や弟たちのはしゃぎ声が蘇り、しばし昔を旅してしまいま す。思い出はいつもやさしく、色褪せることがありません。





2018年2月の一首





今 年の春は晩生のようです。二月も末になりましたのに、まだすみれもやって来ません。いの一番に華やかな彩を見せてくれたのは、もう60歳をゆうに超えた老 い梅です。枝はごつごつと節くれだって木の幹はカサカサとしていますけれど、その枝に紅を散らしたように咲く花たちはとても愛らしい。まだ彩のない庭に春 を呼び込んでくれているようです。桜よりも私にとっては身近で、愛おしい花木なのです。



2017年2月の一首



日の本を裏と表に区分けして雪なき街に梅さき出ずる


日は、最高気温が14℃になると天気予報のお兄さんが告げ ています。東京地方はカラカラ天気、昨日申し訳程度に小雨が降りましたけれど、これとて17日ぶりのことでした。一方暮から今に至るまで、日本海側は記録 的な大雪が続き、雪による交通事故や雪下ろし中の災難が連日のように報じられています。日本 列島の真ん中を走る山々の連なりに、狭い国土は2分され、斯様に冬の気候は大きく異なります。雪国は過疎地が多く、ご年配の方々が、雪の中で、不便 な生活を余儀なくされています。心配するだけで、何もできない私。碧空から溢れるほどに降り注ぐ陽ざしの中で咲く乙女のようなしだれ梅に、雪国の方々の安穏を祈る日々です。










2016年2月の一首


東風ふきて緋色の梅の目覚むれば春ぞ宿りぬ上枝(ほつえ)に吾に


今 年の春一番は2月⒕日(Valentine's Day)に吹き荒れました。前夜からの激しい風雨に、予定していたお墓参りは諦めて、家に閉じこもる事態となりました。昼過ぎに空は嘘のように晴れ上がっ て、気温はうなぎのぼり、最高気温は23度にもなったそうです。その翌日はまた気温は急降下、夕方は雪がちらつくという奔放な天候、春の日々は揺れ動いて います。


ちらほらと可愛い花を見せ始めていた紅梅が、春一番が吹いた後、一気に花が広がっています。
濃い紅色のこの梅は一重でもなく八重でもなくと不思議な形、名前はどうやら「緋の司」というらしいのです。
「芯まで暖かい」が花言葉とか、幹の中まで紅なのを表わしているのでしょう。






2015年2月の一首


窓放ち鬼追う子らの声さがす節分の夜のしじまの中に




今日は節分です。正確には春の節分、年4回ある節分の一回に過ぎないのに、節分と言えば2月始めと決めつけているようなところが、世間にも私にもあります。それだけ、いにしえの昔から、日本人の心の中で春待つ思いは、殊更に強いということなのでしょう。

その節分も、神社での豆撒きの行事などは盛んですけれど、
家で豆をまいて、無病息災や福の到来を祈願する風習は、どの位のご家庭に残っているのでしょうか?
子供達が幼かった頃は、日暮れ時ともなると、開け放った窓から、ご近所の子供達の「福は内、鬼は外」と元気な声が聞こえてきたものでした。

雨戸を閉めようと窓を開け、暫くそのままにして外の様子に聞き耳を立てました。外はしーんとして物音一つせず、開け放った窓からは夕暮れの底冷えする空気が忍び込んで来るだけでした。
淋しさがふと心を過ぎります。






2014年2月の一首



k髪なずる風のやさしさいやませり春告草の香り立つ日に





二日前にしっかりしたお湿りがあって、その後気温のマイルドな日が続きましたから、木々も草々も勢いを増して一気に春めいてきました。
白梅の古木が、少ない花を満開にしています。
そばに行けば、微かに甘い香りが漂います。

匂い草、春告げ草、香散見草、初見草、・・・梅の呼び名は、実に沢山ありますね。
春一番に咲く花は、みなに待たれるしあわせな花、
紅梅が蕾を膨らませて、本物の春を待ち焦がれています。

一月は何とはなしに落ち着かなく時を見送りましたけれど、2月は、時間が自分の手にあるという気がしています。
越年してしまった出来事が、まだ当分片付きそうもありませんけれど、それを早くに片付けて、今年はKindleに挑戦したいと思っています。





2013年 2月の一首


地に果つるときを忘るる山ぼうし紅散らす如月の空に



i例年ですと、山法師の紅の葉が年を越せることは珍しいのです。
でも今年はもう2月というのにご覧の通り沢山の葉が空を
彩っています。
この冬は気温の低い日が多く、耐寒性のある植物も次々枯れて
行きます。ですからこの紅は貴重な彩りなのです。この寒さでは
雪が積もる日もあるでしょう。紅が白い衣を着る日が楽しみです。








2012年2月の一首


しゃりしゃ里と霜ばしらふむあしもとに節分草のはや咲き出ずる


 2月に入りました。風の強い朝ですけれど、気温は昨朝よりはいくらか緩んでいるようです。
とは言っても一週間前の雪の名残はカチカチに凍ったまま庭の隅にありますし、土は霜柱で盛り上がっています。

 でも自然の営みはさりげなく季節に合せて進んでいるようです。もしかしたらを期待して、花壇の奥の節分草の株まで近づいてみました。
大寒の頃に訪れるこの花は、ある日突然のように土を分けて顔を出し、顔をうつむけてひっそりと咲くのです。
やはり出ていました、節分草の白い蕾が。凍てついた土と枯葉に囲まれて。季節の分かれ目が本当に近づいているのですね。


 
 


2011年2月の一首


母のいけたる椿のくれない色をまし春を手まねく寒の茶室へ


母が生ける茶花がこよなく好きです。
母の花を真似て、同じ素材を生けてみます。でも、形は似ながら花に勢いが生まれません。「花を生けるとは、花を生かすこと」なのだそうです。「花が行きたいように生ければ良いのよ」とも母は云います。 
花の勢いの向く方向を見定めて、それを生かすということなのだと思います。 
5歳の時から茶の湯、茶花に親しんできた母には、花の心を読む力も備わっているようです。母から学ぶことは多すぎて終わりがありません。

 

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