十二月の短歌

2019年の歌

残葉は朝陽にに応え輝けり春を託する幼葉抱きて


暖 かい秋でしたから木々の紅は遅れ気味で、美しく彩られるとすぐに落葉が始まる束の間の宴となりました。もみじが姿を消しても真っ青な冬空に紅を留めていた のはヤマボウシの照葉たち、大らかに広げた枝々の先に数枚ずつ肩寄せ合って、風に翻弄されているのでした。黒点や痘痕のあるワクラバ(病葉)が多かったの ですけれど、数枚の葉は一つの新芽を囲み守っているようでした。来春にはこの幼芽が大きく育って、この木を見事に充実させるのでしょう。生きとし生ける者 の力強さ健気さを物言わぬ木々から学びます





2018年 十二月の歌
 

駆けあしの年の瀬逃れてこもりたる茶室に微かな松風のあり


暮は慌ただしいもの、心は次第に焦りを増して、落ち着きを 失っているのが自分でも感じられます。こうした時は母を思い炭を熾し、釜に水を満たして茶室に座します。炉に赤々と熾りが広がり、釜から湯気が立ち始める 頃には心も落ち着きを取り戻しているようです。やがて釜からシュンシュンと湯の煮える音が立てば、これを松風に譬えると教えてくれたのも母でした。母を偲 び、落ち着きのひとときを取り戻す年の瀬です。





2017年  十二月の歌


障子貼る手許しばしば留守をする師走の日々は思い出の箱



2017年もあと2日になりました。12月8日に、母の茶室知川庵での最後の茶稽古を済ませ、母の茶室を閉じました。母亡き後5年の歳月を母のお弟子さんたちと過 ごし、皆さんと共に知川庵を卒業したのです。今、私は自分の茶室菊寿庵の準備をしているところです。一月に開室出来るようにと励む日々は、母との対話の日 々でもあります。冬の庭は楓の枯葉に埋め尽くされ、彩は万両の赤のみ、寂しさの募る年の瀬です。


2016年 十二月の歌


木枯らしに舞い積りたる紅の宴の余韻なほも美し


一 昨日、髪の毛を逆撫でするほどの強い西風が吹いて、頑張っていた照葉がいとも簡単に枝からもぎ取られ、庭に道にと降り積もって行きました。
数時間吹き荒れた 風が収まった後の庭は、赤い絨毯を敷き詰めたようで、それはそれは見事でした。木々の上枝はすっかり寒々しくなってしまいましたけれど。
11月中ごろに始めたlightingも 今日でお終い、クリスマスライトに引継ぎです。
これからは、暮にまっしぐら、慌ただしさが募ります。
今日は気温も急降下しました。





2015年 十二月の歌


やさしさと強さを秘めし冬薔薇に母を映して吾は和みぬ
 


一年が目まぐるしくと思えるほどに急ぎ足で巡って、もう年の瀬です。
毎年のことながら、やり残しに心焦る気持を抱える日々を過ごしています。

 母が彼岸の人になって丸三年が過ぎて行きました。茶室に集う日は勿論のこと、何をするにつけても何を見るにつけても母の言葉や表情を思い出さない日とてありません。
哀しみは遠のき、懐かしさばかりが募ります。母は褥の傍らに白薔薇を添えて旅立ちましたけれど、今冬は珍しいことに白薔薇の訪れが無く、ピンクの大輪の薔薇が、11月の終わりから今まで、艶やかな彩を見せながら、ポツリ、ポツリと咲き続けています。
そのゆったりと咲く姿に、母の在りし日を重ねて偲ぶ、12月の日々です。





2014年12月
十二月の歌



母偲び茶室に集う人々に和気の戻りぬ二歳めぐりて



母が旅立って2年が巡りました。

50年以上も茶室を保ちましたから、そこに通われた方々の歩みを、すぐ傍らで見聴きして自分のことのように、共に喜び共に悲しんで過ごしてきた母でした。そんな母を慕って下さる方々は、母の ことをつぶさに覚えていらして下さいます。
私はお茶には熱心だったとは言えませんけれど、母のお茶は好きでした。お茶の家元制度や、免状主義への反発はあ
りましたけれど、お茶を心から愛し、その思いを飾らず、肩肘張らず伝え、自身も学び続けた、お茶に向き合う、真摯な態度、奢らぬ姿勢が大好きでした。
この度の会のために、娘、義妹それぞれが主菓子に、その思いを込めました。出来上がったデザインに命を吹きこんで下さったのは、馴染みのお菓子屋の老職人 さん、思いの丈を言葉に込める私の意をよく汲んで下さって、母を彷彿とさせる薄紫の帯型菓子「結」を作り上げて下さいました。心置きなく笑顔を見せるよう になったお弟子さん達と、心ぬくもる良い茶会が出来たのは言うまでもありません。
茶室には、いつも母が端然と座って、ほほえみながらみなを見守ってくれていると感じています。






2013年12月

十二月の歌


年めぐり母の訪ふ師走の日心ゆるみて花とたわむる



一年が巡りました。
その月日は、確かではなく、漂うように流れていったような気がします。
母の旅立の日が近づくにつれて、一年前の一日、一日を辿る日々と
なりました。

一緒にドライブした一週間前、一緒に美容院へ行った3日前、前日の
電話、母の言葉、母のしぐさ、母の声、母の笑顔と絶え間なく。
皆さんとの偲ぶ会が続いて、慌ただしい一週間が過ぎていきました。
ふと気が付くと、体中が解き放たれたように軽くなっています。

母をいつも傍らに感じるのに、不思議と寂しさは蘇らず、心地良い
ぬくもりだけを受け取れるようになっています。

師走に入って一週間、雨は全くやって来ません。空は碧く、陽射しは
やさしく、照葉と花々の彩りはまだ衰えを見せません。
穏やかな年の瀬は、母からの贈りものと、一人思うこのごろです。






2012年12月

十二月の歌




闇焦がし灯に浮かぶもみじ葉は母の門出の送火なるらん





  今年の 師走は悲しい月になりました。
 夏の闘病生活の後、とても元気になって、皆を安心させてくれていた母が、突然襲った病に連れ去られまし た。
 皆が呆気にとられるような唐突な形でそれはやってきたのです。腹部動脈瘤の破裂というものでし た。
 苦しみ少なく、病み疲れていないふっくらと穏やかな表情で父の許へと旅立つ母を私はしあわせな人と思えた のです。
そのこ とで、私の心も慰められています。

 紅葉が始まった庭を、母が見に来てくれました。旅立つ一週間前です。
そして母が空の彼方に旅立つまでの10 日間美しい色を保ってくれました。

 ライトアップをした鮮やかな紅は、母の足元を照らす送り火となって、母の旅路を楽にしたことでしょう。
良 い 人生だったと思っています。








2011年12月

十二月の歌
 

ざわめきを水屋におきてすすみ入る納めの茶室に松風のあり



 

師走入りして10日あまりが過ぎました。
母の茶室は今日が稽古納めです。いつも通りに母は淡々と茶室の準備を進めます。でも外から来られる方たちは 日常生活の慌しさを抱えて玄関を入ってこられます。そして水屋に入り履物を替え、手を清めて心にゆとりを取 り戻されるようです。
茶室は一歩入れば別世界、静寂の中に聴こえるのは、釜の湯のたぎるしゅーしゅーという声だけです。茶人はこ れを
松風が吹くと言います。

 

今月の歌目次