季節の贈りもの
12月の彩り
 12月の日々にも照り葉が残る穏やかな東京の冬の入りです。11月の終わりから街はすっかりクリスマスカラーとクリスマスライツに彩られ、俄に日本色が影を潜めました。それが25日を境に一気にお正月一色に激変するのですから、その変わり目の鮮やかさは見事です。畳を上げての大掃除をするわけでもなく、多忙さが急に募るわけでもありませんのになぜか気忙しく日の過ぎる師走。2009年最後の月の活気と賑わいと彩を楽しみたいと思います。

 
welcome wreath
12月に入ると先ず始めるのが、各部屋用のリース作りとクリスマス・ツリーの飾り付けです。カラフルな素材を使いながら今年の色を決めていくのはとても楽しい作業です。この一年の出来事などを振り返りながら。

(玄関ポーチ)

(居間)

(family room)


12月の玄関

ベンジャミンゴムの木のX'mas ツリー

玄関飾り棚のクリスマス

welcome dolls(1)

welcome dolls(2)

ショーケースから


 
 
クリスマス・モーニング

 目が覚めて枕元をみましたら、大きな風呂敷包みが置いてありました。床を並べて休んでいる二人の弟達の枕元にも。私が始めてクリスマスプレゼントを手にしたのは終戦の翌年のクリスマスでした。「母の日」などアメリカの風習が日本の文化の中に徐々に入り始めてはいましたけれど、これはおそらくそれに習ったものではなく父と母のアイデァだったのではないかと思います。戦争中こそ歌いませんでしたけれど、戦後には母はオルガンを弾きながらよく賛美歌を歌って聴かせてくれました。母が通った女学校は白人の教師も多く、母も日曜礼拝は欠かさなかったそうです。洗礼を受けることはなかった母ですが、考え方や習慣の中にキリスト教文化の影響が少し入ってきていたのかもしれません。戦争が終って、でも物が乏しく、楽しみの少なかった時代に、子供達に何か彩りをと父と母が知恵を絞ってくれたクリスマスプレゼントだったのでしょう。今でもその時のセルロイド製のぺらぺらしたピンクとブルーの花や手編みのセーターとソックスなどが私の手許に残っています。その他にどのようなものが入っていたのか覚えてはいませんけれど、その時の飛び上がるほどのうれしさの感覚は今でも思い出すことが出来ます。

  あまりに楽しみだったその習慣を子供達にも味あわせたくて、それに子供達の大喜びする顔を見たさもあって私もクリスマスプレゼントには力を入れました。「自分のほしいものをお空のサンタさんに見えるようにガラス戸に張っておきなさい」と言って、それを見ながらサンタの代理は買い物に歩き回りました。我が家ではクリスマス・イヴに、気付くとプレゼントがベットに届いているという設定にしていましたから、見つからないように品物を置く作業は工夫を要しました。さすがに長男が小学校の2年生になる頃にはこの方法は通用しなくなり、夕食後のプレゼント交換に形を変えていきましたが。

 アメリカで子供達が信じているプレゼントの届き方は、クリスマスイヴの夜中に煙突から入ってきたサンタが樅の木の下にプレゼントを置いていくという設定のようでした。ですからどこのお宅でも暖炉のすぐ傍にクリスマスツリーが飾り付けてありました。幼い子供達にとって何より気になるのはイヴのパーティでもローストターキーでもなく、25日朝の樅の木の下のようでした。暖炉の煙突は太くて外から室内への通路として子供が信じるに足るものでした。それにボストンではホワイトクリスマスにイルミネーションが映えて、トナカイが引く橇に乗ったサンタが現われても少しも不思議に思わないような雰囲気が漂っていました。所を得てこそのあの赤い洋服とトナカイの橇なのだと実感したことでした。東京では12月の雪はもう望めなくなりました。赤い洋服もトナカイも似合いませんけれど、それでもやっぱりクリスマスは楽しみたい、孫の喜ぶ顔も見たいと今年もサンタの代理を務めようと思っている私です。  

師走の庭の移ろいへ