7月の歌

2015年7月

幼き日に父と歩みし山道に野あざみの彩際立ちており


久しぶりに、父の故郷信州富士見を訪ねました。
娘、その長男、弟夫妻の5人連れの賑やかな旅でした。

私が学生時代を過ごした祖父母の家はもうとうに無く、かって奥座敷の庭に立っていた太く背の高い松が、僅かに在りし日の面影を残すのみです。

懐かしさと寂しさとがない交ぜになって、ふと無口になっている自分に気づきます。思い出をたくさん持っているということは、ゆたかな時がたっぷりとあったということ、しあわせなことだと思います。

夏の信州は父と二人で訪れることの多い場所でした。夕方、よく父と富士見の雑木林を散歩したものです。
今日出会った山道の花たちは、そのころの花たちとほとんど同じ顔触れでした。
長い年月が流れているのに大きな変化のない環境で、
ゆったりと変わらぬ生活をしているのですね。

山の花はひっそりと控えめな花ばかり、その中で野アザミの花の愛らしいこと、この花を見つけると今も心がときめきます。







2014年7月


夏さそう梔子の香の芳なれど白きかんばせ露ぞゆかしき



沖縄は早々と梅雨明けしましたけれど、本州は依然としてしとしと雨と陽射しとまた重い空との繰り返しです。
ヤマボウシ、紫陽花、ヒメシャラと木の花が次々と姿を消して、今はクチナシの季節になりました。
渡しの季節に訪れるこの花は、夏の青空にもどんよりとした梅雨空にもフィットする、爽やかな花です。
晴れた日には甘い薫りを周囲に漂わせ、晴れやかにほほ笑む如く、雨の日には涙をためた乙女のような風情を見せてくれる、この演出上手な花には、沢山の花言葉が寄せられています。
その中で私の一番のお気に入りは、「幸せを運ぶ花」です。
ダンスパーティにレディを誘う時、紳士はクチナシの花をそっと手渡すとか、花に思いを託すなんて、素敵ですね。伝わらないこともありそうですけれど。





2013年7月


風入りて衣桁の薄ぎぬそよがせば母の香立ちぬつゆくさ柄に



文月に入りました。
雨はほとんど降らないのですけれど、空は未だすっきりしません。
梅雨明けの報せもまだありません。
でも時々空が明るんで、ちらりと淡い青空が見え隠れするのです。
凌霄花が大きな赤い花を木からませて咲いています。
紫桔梗も咲き始めました。
夏がすぐそこまで来ているのは、気温の上がり具合からも察しが
つきます。

 母の和箪笥に仕舞ったままの着物が気がかりで、茶室に広げて
虫干しをしました。
土用干しには少し早いのですけれど、今日は風が爽やかでしたか
ら窓を少しだけ開けて、風を入れました。
そよ風が吹き込んで、着物の裾をそよがせます。
それに誘われるように母が焚きこんだ白檀の香りが茶室の中に漂
います。
裾に咲き乱れるつゆくさから香り出すように。
ゆかしいですね。日本の風習は。







2012年7月


瑠璃菊のやさしき彩り咲き揃う和が生まれ日をしるが如くに


梅雨の末期、今朝も雨粒が屋根を叩く音に目覚めました。 夏まであと一息です。
 庭のあそこにもここにも瑠璃菊が咲いているのが窓から見えます。私がこの花を好きなのは、名前に因ることも大きいのでしょうけれど、何よりもその淡く上 品なピンクと紫に魅せられているからです。
 我が家の庭でこの花達が一番花数を増やすのがこの時期、ちょうど私の誕生日の前後です。それも私がこの花を愛する理由の一つかもしれません。
 今年も沢山の花を見せてくれましたから、きっと良い一年になることでしょう。                        7月15日記す









2011年7月

開け放ち涼風通う窓先にのうぜんかつらの艶やかなりき


 蒸し暑い日が続きます。
なるべくならば冷房を付けずにおこうと窓を大きく開け放ち風を入れます。それでも手からタオルが離せない湿度の高い日々です。
 でも良いこともあるのです。冷房を入れれば、陽ざしを入れまいとレースのカーテンは引いたままにしますから、庭の様子がなかなか伝わりません。ところが 昨今は外と内とが一体化していていますから庭の様子が手に取るようです。
 蔓性のノウゼンカズラ(凌霄花)が槿を伝って延びてきて、窓の前で花を付けました。食堂から居ながらにして楽しめる位置にです。槿の緑と相まって、彩が いっそう艶やかです。節電に精を出しているのを後押しされているような気分です。

 

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