季 節の彩り
(春) 2014年(3月〜5 月)

  今年の冬は東京も雪国のような気候で、その後遺症が3月まで持ち込まれました。凍ってしまった雪がとけず、花壇を覆ったまま長く留まりましたから、雪の下 か ら救出したシクラメンやパンジーの中には復活できないものも多く出ました。その後も気温は乱高下、桜予報も修正に次ぐ修正、落ち着かない3月となりまし た。3月18日、東京にようやく春一番がやって来て、春はほぼ定着、庭にも彩りが蘇りました。遅い春の訪れに春の花の植え込み、土作りや釉薬の手入れもな かなか捗りませんでしたけれど、4月、ボストンに2週間滞在して戻った我が家の庭は、彩りに充ちていて、別れの淋しさを慰められました。出発前に桜を満喫 して、ボストンでもう一度、生まれたばかりの、初々しいと春に出会えて、しあわせでした。若葉と花々に彩られて、5月はいつにも増して、晴れやかに感じら れたことでした。




お雛様

こ こ2年ほど七段飾りの雛人形を飾らなくなりました。大きな長持に納まった全ての人形と道具を並べるのは、「行きはよいよい、帰りは・・・」で片付けるのが 億劫になってしまったからです。内裏雛だけではちょっと寂しいので、小さな人形を沢山侍らせました。玄関はそれなりの賑わいです。





花ドライブ
(3月17日)

週 末から戻っていた長男が、自分の仕事を片付けた午後、「写真でも撮りに、ちょっと出かけませんか?」と声をかけてくれました。気温が急に春めいて、ちょっ と体がけだるいような陽気でしたけれど、これならひょっとして桜が見られるかもしれないとの予感がありました。近 くの川沿いを走ると咲いていました、チラチラと小粒の桜が2種類。見過ごしてしまいそうなほど儚げでしたけれど。




満開なのは彼岸 桜、個人のお宅の広ーい庭先に咲いていました。


そしてその隣に真っ盛りの紅梅が咲き誇っていました。


更にそのお隣はピンクのしだれ梅と芽を吹きだした淡緑のしだれ柳です。


最後は梅の並木道(街路樹が梅なんて粋ですね)9




今年の桜

野津田公園の桜(4月8日)
気のせいか今年のソメイヨシノは色が淡く、遠慮がちに見えます。
何度が様子を見に行った、私の桜所野津田公園の桜は、8日に
ほぼ満開となりました。よく晴れた青空の許でさえ、こんなに儚げ、
もう少し自己主張してほしいとさえ思いました。



東京霊園の桜と三つ葉躑躅(4月6日)
少し寒いとさえ感ずるような、薄い雲が棚引く日、桜はほぼ満開、
彩り華やかなつつじに後押しされているような控えめな桜です。






ボストンを訪ねて(4月18日〜4月28日)

久しぶりに早春のボストンを訪ねました。雪がようやく消えて、やわらかい陽射しの中で人々が憩う、一年中でも一番活気に満ちた美しい季節です。
ボストンマラソンを皮切りに次々と外でのイベントが催されて、閉じ込められていた季節から解き放たれた喜びが、人々の表情を晴れやかなものにしていまし た。
彩りの季節を満喫して過ごした、10日間でした。

ボ ストンマラソン
ボストンに着いた日は、ボストンマラソンを翌々日(20日)に控えて、市内各所でその準備がほぼ完了した時期でした。飛行機の 中で隣り合わせた青年もこの大会に参加するために渡米するランナーでしたし、マラソン大会とレッドソックスの試合を観戦する目的のツアー客も大勢いまし た。迎えに出てくれた娘が
ドライブしながら見せてくれた大会準備が終わったばかりのボストン中心部の様子です。

マラソン走者を追いかける中継車です。


こちらは、招待客の観覧席。歴代の優勝者なども顔を見せます。
かって、この席で作家の村上春樹さんと、ご一緒したことがありました。
この方はボストンに長くお住まいで、この席の常連さんのようでした。

早春ドライブ(4 月19日)
お気に入りのLittle Field をドライブ
羊の放牧は始まったばかりです。まだ草の芽は出ていませんから
枯れ果てた牧草が、彼等の目下の食糧です。


林の一隅で見つけた水仙、春一番に咲く花です。
雪解け水が作る日溜りの沼地は、水仙のオアシスのようでした。




Easter Sunday(4月20日)
花屋さんはピンクを中心にしたアレンジメントで
溢れていました。プレゼント用が主のようでした。


Easter Sunday Brunch
好きなもの取り放題のバッフェ(Hotel Westin)



Patriot Day
(4月21日)
アメリカの独立戦争が勃発した日です。
はるばるイギリス本土からアメリカ鎮圧のためにやって来た、イギリスの正規君です。
戦はレキシントン広場からで始まり、敗退してコンコードまで後退したアメリカの
農民兵を追って北、イギリス軍の進軍風景です。場所はノースブリッジ。


こちらは服装も揃わない、アメリカの農民兵です。結局、勝利はアメリカの上に
輝いたのですけれど。この一連の戦争劇は、早朝レキシントンで始まり、10時頃
には、コンコード、ノースブリッジに移ります。



Boston Symphony Orchestra
(4月23日)
数年ぶりにB.S.Oの演奏を、シンフォニーホールで聴きました。
演奏者と聴衆との一体感が何とも言えなく心地よく、ズンズンと
心に響く演奏に酔いしれました。
曲目は、
ムソログスキー:禿山の一夜
ラフマイノフ:パガニーニ・ラプソディー
チャイコフスキー:交響曲第5番

ご存知のように、日本の演奏会場は、演奏中でなくとも、写真撮影は
厳しくご法度です。此処ではどうかと申しますと、私のカメラを見つけた
会場整理のおじさんが「僕が、君達を撮って上げよう」というゆるやかさ、
「写真撮ってももいいの?」と訊きましたら、「Why not?」と質問されました。



Noahとの時間
春休み中のNoahとは、随分ゆったりと濃い時間を共有できました。
その間に、彼の日本語は驚くほどに上達し、私の英語は、さっぱり
変化が無いのが、いかにも残念です。

粘 土遊び


ナ イショ話

ロー ラーブレードをプレゼント。
あっという間に滑り出しました。手伝うヒマなし。


ホ テルのジムで。
何をやっても敵いません。




別れ(4月27日)
空港まで送ってくれたNoahは、私のスーツケースをカウンターまで運んでくれる頼もしさ、でも手続きをしている私を見て「ナナ チャマ僕も一緒に日本へ行きたい」と言い始めました。それが不可能なことは承知していて、でも自分の思いを口にせずにはいられなかったのでしょう。
彼にとっては、日本はやさしい人たちとの交流や、楽しいことが満載の夢のような国なのです。「夏休みに日本に行くからね」と私に約束して、自分自身を慰め るノアと、しっかりハグをして別れました。
機中での14時間、ノアの淋しそうな顔が、いつまでも脳裏から離れないナナでした。




 日本は本物の春でした。

機上で日を越えて、発った日の翌日4月28日成田着。
日本は暑いほどの気温、初春のボストンでは必要だったコートが邪魔になりました。
明日からの連休を控えて、空港は何となくざわめいて、活気がありました。

春の花に迎えられて
木々の花(モクレン、林檎、梨など)に見送られてボストンを発ち、
帰宅した我が家の庭には、春の草花が咲き乱れていました。別れの
淋しさを持て余し気味の私に、花達はこよなくやさしく、やわらかでした。


楚々とした日本の花

上:キバナホウチャクソウ
下:ナルコラン


5月 の花達
シャ ガ

ノー スボール



ナ デシコ

姫空木


石楠花






 

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