季節の贈りもの
2012年夏(6月〜8月)
 東京の梅雨入りは6月9日だったそうです。
ちょうどその頃、澄んで深い碧の空が続くボストンにいた私にはピンとこない天気情報でしたが、成田に着いた途端 に体を包んだ湿った空気に一気に梅雨を思い出しました。
しとしと雨の日は少な くて、どっとまとめて降る陽性の梅雨だったのですが、末期の大荒れは九州に大きな爪跡を残しました。ようやく梅雨が明けたのは7月21日、一気に猛暑が やって来ました。
30℃は当たり前、35℃越えも珍しくない日々でしたけれど、避暑のために信州に滞在中の母が現地での入院とい う事態も あって、暑さにへばっている間も無く、あれよあれよという間に8月は過ぎて行きました。


ボストンの日々(5月 28日〜6月12日)
5月28日〜6月12日をボストン で 過ごしました。
暑からず寒からず、一年中で一番爽やかで美しい季節、寒さから解放された人々の心が外へ外へと向かう季 節、海へ、山へ、川へ、そしてガーデニング、卒業式、夏休み、イヴェントフルな季節でもありました。
娘の卒業式とNoahの誕生パーティへ出席することが、私のこの度の主目的でしたけれど、会いたい人 達、訪れたい場所と休むことなく動き回った2週間でした。

下の写真は、ボストンの初夏の点描です。

ケンブリッジ の教会
ケンブリッジまで来ると、「ボストンに戻った」
と実感します。その雰囲気の穏やかさに。

友人の家で
ダイニングキッチン。何が違うのでしょう。
ごく普通の食卓なのですけれど。


Wilson Farm
花の咲き方も半端でありません。
盛り上がるように。これ売り物です。
飾るお宅のサイズ、推して知るべし。


Beacon Hills
イギリスから渡ってきた清教徒が
開いたと言われる高級住宅地です。
薔薇とヤマボウシが花盛りでした。


Charles River
厚い氷に閉ざされた半年間。
未だ気温は低いのに、待ちきれない
ヨットやボートが活動をはじめました。


Millpond in Maynard
4月に戻ってきたカナディアンギース、
ボストンで夏の間子育てをして、10月には
また家族でカナダに戻って行きます。


娘の卒業式
子育てしながら娘が学校を終えました。
免状授与式は息子も一緒でした。


Noahの誕生会(6 月9日)
6月9日に5歳になりました。小さな動物園を
借り切っての誕生会、招待客は20人ほど。


Concord Townの 初夏
独立戦争の戦場となった歴史の街。
観光客の賑わいと静かな高級住宅地と。


Colonial Inn 
アメリカで最も古いと言われるホテル。
独立戦争の作戦本部兼弾薬庫。




 


薔薇に迎えられて
ボストンから帰宅した6月13日、門を入ると今にもこぼれそうな
満開の薔薇が咲いていました。芳醇な香りに迎えられて、幸せ
でした。切り花はリビングに飾り、暫く色と香りを楽しみました。





6月の花壇
帰宅の翌日母を訪ねました。元気な母に会い安心して、ご近所に帰宅の挨拶をした後,真っ先に手を付けたのが庭の手入れでし た。
花壇にはもう夏の花が咲き始めていましたけれど、留守の間に傷んだものも沢山ありましたから、それらを刈り込んだり、隙間に 苗を足したり。
こうして初夏の花壇がなんとか形を成しました。春の花忘れな草がまだ盛大です。





6月の玄関飾り
June Bride
ボストンからやって来ました。




7月、8月の玄関夏飾り
こちらもみんなボストンからやってきました。
夏のシンボルヒマワリを中心に。





会津若松を旅して(7月16〜18日)
息子に誘われて東北へ旅したのは、震災以 来いつも心にありながら、一度もその場所に立っていないことを残念に思う気持が強かったからでした。訪れた 湯元温泉街は地盤のせいか建物の倒壊は殆ど無く、津波の届く範囲ではなかったことが幸いして、直接の被害は 少なかったそうですが、風評被害は想像を越えるほど大きく、一時は客足が全く途絶えてしまったそうです。
私達が宿泊した「向瀧」という老舗旅館は、江戸時代の面影を今に留める建物とあたたかいもてなしが評判通り の居心地の良い宿でした。庭に出るという蛍は見逃しましたけれど、東北の方々の辛抱強さとぬくもりを目にし 肌に感じた旅でした。

向瀧を庭園から

庭園には山百合が花盛り


大内宿
萱葺きの民家は往時のまま


大内宿
作り酒屋三澤屋


熊野神社
1089年源義家造営


熊野神社
神社長床 国の重要文化財



   


 母と 過ごした信州の日々(8月5日〜9 月5日)
 電話のベルで目覚めて、時計を見れば午前1時過ぎ(8月5日のことです)。義妹の「こんな時間に済みません」の声は消え入りそうに沈んでいて、「母に何 かあったのでは」ととっさに思いました。母と弟夫妻が蓼科に発ったのは8月1日のこと。4日に「先祖のお墓参り をしてきたのよ」と、元気な声で電話があったばかりです。やはり緊急事態でした。「昨夜遅くに救急車で入院して、診察の結果は肺炎とのことでした」と義妹 の声は続きます。義妹の緊迫感が伝わって私も しばらくは、わなわなとして考える力も行動する力も失せていました。父の入院、そして病名の肺炎が符合して、気持の落ち着きを完全に失っていたのです。 次男を起こし、長男と娘、弟と電話をする内に、自分のすることが決まりました。丁度この日蓼科に行くつもりで取って あった「あずさ」をキャンセルして、弟の車で4時過ぎに出ることになりました。道中の心ここに非ずの状態は病室の母 を見た途端に解消されました。母が思ったよりずっと元気だったからです。心臓にも腎臓にも以前からかなり深刻な症状 があったのですが、その数値を聞き、それは母がずっと抱えてきている状況を越えていないことはすぐ分りました。担当 の医師が実に細やかな配慮をして下さる方で、住まいの近くのホームドクターとすぐに連絡を取り、今後の見通しも明確 に伝えて頂 けたのは本当に有難いことでした。2日目からリハビリの手配もして頂き、気配りの行き届いたリハビリ療法士の方を派遣しても下 さいました。弟夫妻の1ヵ月に及ぶ献身的な看病、兄弟の協力、母の体力、精神力、幸運、全ての事が助けになって、 母は 一ヵ月の闘病の後に元の生活に戻ることが出来ました。父の守があったに違いないと私は信じています。
信州へは5回赴きました。2泊、1泊、日帰りといろいろでしたから母の許で看病したのは通算10日ほど、1ヵ月休み もせずに付き添ってくれた義妹と弟には頭が下がります。長男が迎えに来てくれたり、送ってくれたりが4回ほどあっ て、それにも随分助けられました。信州へ行き来の折々の一コマです。

宿泊したホテルハイジ
庭から部屋を

ホテルハイジ
部屋から庭を


Skypeでボストンの孫と話す母
病室にて


八ヶ岳に掛かる入道雲
病院の5階から


日没
病院の屋上から


車窓の風景
小淵沢周辺


ハーブ園の黄色コスモスとレースフ ラワー
病院のハーブ園にて(母の散歩道)


嵐の後のヒマワリ
茅野の農道に咲く






 
6 月、7月、8月 庭木の花と宿根草
例年を上回る暑さが続いたこと、留守がちで水遣りが行 き届かなかったことなど
庭の花達には気の毒な夏の日々でしたけれど、それでも健気に、庭を守ってくれました。



























 

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