季節の贈りもの
(2010年夏の彩り)
 今年の夏は何というお暑さでしょう。梅雨明けと同時にやっ て来たheat waveは日本列島を覆い尽くし、昼間の気温が35度前後の日照りが一ヶ月近くも続きました。その強い 日差しがふと途切れ、雨が訪れたのは8月9日、10日のこと、日本中がほっと一息つきました。すぐに 戻ってきた太陽はいくらかやさしくなっているようです。麦藁帽に日焼け止めを満遍なく塗って庭に出れ ば、風は案外涼しくて、空気が少し変わってきているのを感じます。見上げる空に雲が薄く靡いています。 楓の葉先がすこし色変わりし始めました。夏真盛りの日々にも次の季節は出番を待って、準備を進めている ようです。油蝉とミンミン蝉の声が途切れると、鈴虫のかすかな声が聴こえます。

真夏の玄関飾り棚
夏の公園といったところでしょうか。中央は天使の像の噴水です。

 

真夏の玄関ショーケース
涼を呼び込みたくて、水差ばかり並べてみました。


 
Happy Birthday To Me

 7月の私の誕生日の朝、電話を 受けた私の耳に
「ナナちゃまhappy birthday」とNoahの声が響きました。
「プレゼントなに?」「ケーキたべ た?」と訊ねる子とあれこれ話している内に、「No, This is my birthday. I need one more birthday party」と突然ノアの声音が変りました。
彼の会話は日本語の時はあどけな く、英語になると突然大人のような口振りになります。
私はその逆で、英語は自信のない分 態度まで控えめ、声まで小さくといったことになるわけですが。「No, my birthday」, 「No, my birthday」をお互いに繰り返した挙句に、
「それでは日本に来たときセカン ド・バースディ・パーティをしてあげるわね」ということで話が治まりました。
彼の誕生日は6月、大勢のお友達を 招いての誕生会がよほど楽しかったのでしょう。
それからというもの彼は毎日
「Happy birthday to me, happy birthday to me, happy birthday dear Noah, happy birthday to me」と歌っているそうです。
 誕生日には、日本でなければ出来 ないものをと考えました。おもちゃの立体ケーキを提案しましたら、娘も「それ はアメリカでは絶対に手に入らない」と大賛成でした。彼の大好きな機関車トー マスの立体ケーキが今日冷凍で到着しました。

誕生会は8月14日で す。
7月の庭
梅雨明け直後、まだ花も木も瑞々しく、8月の灼熱の到来 は
予想だにしていませんでした。梅雨の間は日差しが恋し く、
日照りになれば雨が懐かしい、無いものねだりばかりです が、
それにしても今年の8月はちょっと過酷です。

撫子、蛍袋、リンドウ、バーベナなどが涼やかに咲 いていた
7月の花壇です。


 
8月の玄関周りの花壇
今年は花数が少なく、花で盛り上がるような花壇には 未だお目にかかれません。

8月の庭の花(夏花と秋花が入り乱れて)

 あまりに長く日照りが続きましたから、枯れてしまう花が続出して花壇は穴だ らけです。花も葉も色が冴えません。
 でも一雨来ましたからこれからは少し元気を取り戻すことでしょう。秋草がも うちらほらと顔を見せ始めました。

 
夫と共にある日々

 今朝は5時起きをして、息子達と高 尾まで夫を迎えに行きました。
例年通りに他の方々よりも一日早い8月 12日の夫の帰宅です。
時が惜しくて、愛おしくて、一刻、一刻 を心に刻み付けるようにして過ごした5年前の夏の日々が蘇ります。 
 8月1日に夫は酸素欠乏により意識が 無くなりました。
自己呼吸するのに必要な気道が腫瘍の急 速な成長のために狭まってしまったのです。気管にカニューレイという管を通して辛 うじて呼吸を保ってはいましたが、それは肺にまでは届かないものでした。
彼が蘇生出来たのは娘の懸命の酸素供給 と気管吸引のお陰でした。
医者は「もうやっても甲斐はないだろ う」と言ったのです。娘の何としても父をもう一度目覚めさせたいとの思い、そして 知識と勘とが父を呼び戻したのでしょう。
 それからの2週間近い日々を夫は諦め ることも投げ出すこともせず、
永らえた命を懸命に守って生き抜いてく れました。息子の肩を借りて廊下を散歩し、味を感じない食事を自分で口に運び、毎 朝売店が開くと同時に私が買ってくる日経に旅立つその日の朝まで目を通していまし た。

 病室の窓が白みかけると「ああ今日も無事に朝を迎えること が出来た」と感謝の思いで始まる一日の中で、夫は静かに、淡々と過ごしておりました。息苦しさから開放 されることはありませんでしたのに。
 苦しさのただ中にいる人に、傍にいる人間は無力です。でも 病室で昼夜を共にして、最後の日々の全てを見、全ての時間を共有することだけは出来ました。その日々を 通して、生きる勇気と生きることの有難さを伝えてもらいました。夫が私達に遺してくれた大きな贈り物だ と思っています。
今日娘の一家3人も帰国します。家族全員が揃う5日間です。 その輪の中で、夫はきっとあのいつもの笑顔を見せてくれることでしょう。やさしさと絆の深まる8月の 日々です。
 
 

夫を守ってくださった仏さまたち

 やさしく穏やかなお顔に「気持の安らぎを覚える」と 夫はいつも仏像を身近に置いていました。
夫は深刻な顔で命を語ることはありませんでしたけれど、 30年近い年月を病と共に歩き、いつも命を意識して過ごしていたのだと思います。仏像への思いが人 一倍強かったのもそのことと無関係ではない気がしています。
お顔の表情が大事だったようです。どの仏さまも共通して 美しいお顔をしています。

8月12日記す

 
 
涼風を求めて

 旧盆が過ぎる頃から秋めいてくる例年とは異なり、今 年は猛暑が今だ健在です。月半ばに暑さが和らいで、ほっとしたのは糠喜びでした。薄が穂を見せ始め ていますけれど、眩しい光の下では場違いにさえ見えます。
 娘の帰国の度に箱根で過ごすのがここ数年の恒例になり ました。私の家から車で2時間半ほど足を延ばしただけで、そこにはもう秋茜が飛ぶ季節がありまし た。母、私、娘、その長男の4世代が一緒に過ごす貴重な機会です。母と曾孫との年齢差は90歳もあ るのですが、こののんびり旅は、無理がなくて全員が楽しめます。今回は他の予定で不参加でしたが、 義妹もこの旅の常連です。ホテルはいつも同じ所にして、2部屋の間のドアを開けて繋いだコネクティ ングルームを用意してもらいます。庭に出れば空気はひんやりとして、湖畔に人影はまばらでした。こ こでは次の季節の足音がもうすぐそこまで近づいて来ているようでした。

芦ノ湖の朝
ホテルの庭から

箱根神社
ここでおみくじを引くのも恒例です。
娘は大吉、他の3人は吉でした。

神社の苔庭

8月26日記す

彩 の12ヵ月 目次へ