季節の贈りもの
2010年春

 今年の気候はとらえどころがありません。何回となく雪に見舞われた冬でした。そしてようやく手にしたと思った春も、暖かくなってほっとするとすぐにしっぺ返しが来るような、ちょっといじわるで、気まぐれな足取りです。
 でも4月の訪れと共に木の芽も緑を見せ始め、花壇の彩りも増してきています。桜祭りの賑わいもそこここで見かけ、道行く人の表情も和らいでいるように思えます。良い季節の良い表情を見れば、カメラに収めずにはいられなくて、写真が次々にたまりました。春の一こまをご覧いただけましたらと思います。


 
雨にけむる京都
 3月23日から25日までを京都で過ごしました。ボストンからやってきた娘とその2歳の息子との3人旅でした。
 天気予報は最初から芳しくなく、実際も雨に始まり雨に終る日々でした。雨でも傘をささないアメリカ人(殆どが車の移動で歩くことが少ないことの他に濡れることを意に介さない人達なのだと思います)の中に育って、傘をさした経験のない孫に私は小さな傘を買い与えました。彼はすっかり有頂天で、雨の中を楽しそうによく歩いてくれたのは幸いでした。
 観光シーズン、修学旅行シーズンの最中にも拘らず、何処に行って人が少なく、「こんな日もあるのか」と案内の運転手さんが驚くほどの静けさ。雨の似合う京都で、咲き始めたばかりの桜やしっとりとした寺や町の佇まいを静かに味わえたのは思いがけない雨からの贈りものでした。
 
 

辰巳町白川周辺
白川沿いの枝垂れ桜は雨の中でほぼ満開でした。
川を挟んだ向かい側はみなお茶屋さんだそうです。
この辺りは「祇園新橋伝統的建造物群保存地区」
に指定されていると聞きました。



白川にかかる巽橋。右手に辰巳大明神(踊りの神さまの由)
があります。普段の昼間は、踊りの稽古に通う舞妓さん目当てに
人の集まる所だそうですが、この日は観光客もいませんでした。
 

南禅寺周辺
民家の庭から咲き零れる濃いピンクの枝垂れ桜。
雨空に色が冴えませんが、豪華な風景です。


野村家を始め大邸宅が並んでいます。
 

祇園花見小路周辺
都おどりを4月1日に控えて、本来ならば大賑わいのこの町が
静まり返っていました。修学旅行の学生の姿も見ませんでした。

町屋の路地にもご覧の通り人影がありません。


 

東福寺


 

真正極楽寺(真如堂)


桜は3分〜5分咲き


 写真の中に人影を見ない京都はちょっと奇跡的です。
ほとんど毎年訪れますが、こんなに静かな京都は記憶にありません。
 憧れの新幹線に乗って幸せな孫は、駅前のホテルからも発着する新幹線を飽かず眺めておりました。久しぶりに日本の風景に触れ、日本の味を存分に味わった娘、飛び切り静かな京都を手にした私とそれぞれの心に良い思い出の残る旅となりました。

 
今年のイースター
昨年は4月の12日がイースター・サンデイでしたが、今年は4日とのことです。
娘が可愛いイースターグッズをおみやげに持ってきてくれましたので、玄関も
ファミリールームも賑わいが増しました。

玄関飾り
エッグ・ツリーとひよこが二対加わりました。

ファミリールーム
サイドテーブル上のイースター飾り。
今回加わった新顔たちです。


 
庭の彩り

蘇った宿根草たち


アネモネ

グレープヒヤシンス

勿忘草


アネモネ

ヴィンカ

撫子

クリスマスローズ

勲章花

花壇の花達


 


 
This Is My Room
 空港に出迎えた私を認めて乃吾は笑顔を見せました。半年振りの2歳児は、ボストンの保育園でも頭一つ出る背高のっぽで、1メートルを越えているそうです。
 家に着くと、私の手を引いて2階へ。来日の度に自分たちが寝室にする和室のふすまを開けると最初に言った言葉は "This is my room. You know." 階下におもちゃを運び、早速私を相手に遊び始めました。半年前に一緒に遊んだPlay・Dohでのクッキングは私と一緒にするものと彼は決めているようです。
 "Let me do it."  "Give me different one please." と彼が言うそうした言葉に合わせていると、「日本語で応対してやってください。正しい日本語で何でも話せる子に育てたいから。」と娘が言います。 それからというもの家族全員が日本語で話をするようにしました。聞いた言葉を鸚鵡返しに言ってみては次々に自分のものにしていくその速さといったらありません。この年齢の子供の記憶力は、紙が水を吸うように何でもあっという間に取り入れてしまうことができるのですね。 
 日毎に語彙を増やし、言い回しを覚え、母やご近所のおばちゃま方とも自由自在にお話が出来るようになるのに一週間とはかかりませんでした。どうしても日本語では分からない単語を英語で言われると、こちらが分からないといった場面も時々ありました。発音が良すぎるのです。
 唯一英語で話をしていた父親との電話も、最後は日本語になりました。電話の向こうで当惑している父親の様子が伝わります。すっかり日本人になって過ごした2週間は彼にとって心地良いものだったのでしょう。「さあデイケアに行くわよ」という娘に彼は「デイケアにいかない。にほんにいく。」と言うそうです。
 夏には又帰国するという彼等を誰よりも待ち焦がれているのは私の母です。「電話でノアちゃんがね『ああちゃま(母の愛称)、だーいすき』と言ってくれたのよ」と母の声は涙でくぐもっておりました。

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