季節の贈りもの
2010年秋の彩り
 長い長い夏が去って、10月の声を聞く頃からようやく朝夕に秋の気配が漂い始めました。でも昼の日差しはまだとても温かく、依然として元気な夏の花が、秋の花と仲良く混じり合って咲いています。9月末まで頑張っていたツクツクボウシの声は、ついに虫の音にかき消され、もう聴くことはなくなりました。気がつけば金木犀が香り、薄が風に靡く季節になっています。うろこ雲、風の匂い、木々の色付き、季節は人間ほどに右往左往もせずに、何があっても淡々とやって来て、私たちを安心させてくれます。
 秋は私の最も好きな季節です。朝のキリッとした空気、昼の穏やかな日差し、冴えた空に輝く月に懐かしい日々が重なります。気候の心地良さが心に落ち着きをもたらし、物事に前向きになれるような気がします。良い時間を大切に過ごしたいと思う日々です。

秋飾り

Welcome Wreath

 

玄関飾り

今秋ボストンからやってきた藁人形達です。


ショーケースより
Halloween Ornaments
こちらもこの秋ボストンからやってきた新顔です。

感謝祭の飾り
かぼちゃ、紅葉、藁人形がこの時期の常連です。

 


案山子
中の2組がニューフェイスです。人形の顔にも流行があるようです。

秋の動物達


 
大きな笑顔に会いたくて

 今日10月7日に、夫の母が96歳になりました。何よりも花が好きで、かっては、自分でも庭にとりどりの花を咲かせて愛しんでいました。
その母に、カードを添えて、ピンクの薔薇を中心に華やぎのある花篭を贈りました。 早速、母から元気な声が届きます。
 「まあまあ、よいよきれいなお花をありがとうございました」「今日は私の誕生日ということじゃけえど、わたしゃあ何歳になったのやら、よう覚えん。でもね、みなさんにようしていただいて、いつもおいしいものを戴いて、おかげで私は元気にしていますよ」「あなたはお元気なんじゃろう?」「お互い元気でありさえすりゃあ、良いこともありましょう」「お花は仏さまにも見て頂きましたよ。ではどなたさまにもよろしゅうにお伝えください」。間に私の「いえいえ」、「はい」、「そうですね」といった短い言葉は入りますが、すっかり母の流れです。
 なんというやわらかな挨拶言葉でしょう。その間の良さ、言葉の外にまで滲みでる優雅さ、電話の後もしばらく浸っていたくなるような優しさです。人生を心豊に過ごしてきた人には、今現在の自分の状況を越えて、自然に供わったゆとりのようなものがあるのですね。

それが周りの人の心も穏やかにしているように思います。夫を見送り、最愛の息子に先立たれ、辛いこと悲しいことは胸の中に溢れるほどあるはずなのに、やさしい笑顔を忘れることのない母なのです。 
 父と母は、石炭がまだ黒いダイヤモンドと言われていた炭鉱全盛期の頃に、家と家とのお付き合いから生まれたご縁で、家庭を築いたそうです。お話が出た当時父はまだ学生で、ちょうど夏休みで帰省中だったとのこと。「ひとつどんな娘か見てみよう」と、母がお花の稽古からの帰り道を待ち伏せして、通行人を装いながら母を観察したといいます。何も知らない母は、日傘をくるくるとまわしながら、踊るような足つきで、楽しそうに通り過ぎて行ったとか。「お声を掛けなかったのですか?」「ご挨拶もなさらず?」と私がちょっとからかい半分に訊ねましたら、「貴女方には分からんじゃろうのう」と父は遠くを見るような目つきをして、静かに言いました。「私にはそれだけで、充分じゃった。その時この人をもらおうと心が決ったです。明るうて、そりゃー可愛かった。言葉では表せんです」。その時私は、はっとしました。父が、深いところで自分の心と会話していたことに気付いたからです。私は、自分の軽はずみを恥じました。母に父の言葉を伝えましたら、「おとうさまは、そねいな事を一つも私にやぁ、言うてくれちゃあないんよ。いつも叱られてばっかりじゃけーど、それでも本当はおとうさまがやさしいことはわかちょるんよ」と母。私はこうした父と母が大好きでした。
 表面的には「男子たるもの」、「主人というものは」と母を従えて胸を張っているように見えた父でしたけれど、実は陰でしっかり支えてくれる母に感謝し、頼りにもしていたのだと思います。市長選の時にはトラックの荷台に乗って、父への支持をお願いし、後援会の方たちを労い、お願いに走り回っておりました。オーストラリアへの親善使節としての父に同伴した母は、現地の方たちと打ち解け、いつも座の中心にあって周囲を和ませていたと付き添った方たちから聞きました。父がそうした母をとても誇りに思っていたのは、私の子供達に「ああちゃん(おばあちゃまの意味)はたいしたもんでよ」としばしば言っていたことからも分かります。
 父が旅立った時にはしゃんとして、みなさんにご挨拶していた母でしたが、私の夫が先立った時は、涙にくれる日が続きました。でも信心深い母は、祈りの中で悲しみを乗り越え、「貴女もお寂しいことじゃろうけえど、こればかりはしようがない。もう直ぐ会えるじゃろうから、それを楽しみにしていますよ」と、すぐにすっきりとした笑顔に戻りました。
 母が私に伝えてくれていることは、声高に自己主張したり、相手を質すことをしなくても、相手に合わせながら、自分の芯は決して曲げずにいれば、事は自然に自分の思う方向に進んでいくということなのだと思います。私にはなかなか実行の難しいことではありますけれど。
 2年前までは、飛行機での一人旅も厭わない母でしたけれど、最近は上京することもなくなりました。昨年宇部に帰ったきりの私は、母の笑顔に飢えています。お正月前には一度帰宇したいとしきりに思う今日この頃です。
2010年10月7日記す

 

庭の秋
10月はじめ、楓は未だ緑のままですが、はなみずきの照り葉が、進んでいます。
次が姫しゃら。赤くなり始める順番を違えることはありません。


庭を彩る花
 夏からもう3ヶ月も咲き続けている花、涼しくなったのを見計らうように咲き始めた花、
宿根草たちは自分に合った季節の訪れを感知するのに長けています。可憐な姿に
似ず強靭な花達にとっても、秋の気候は心地良いものなのでしょう。こぞって元気です。

木の実、草の実
紫式部やピラカンサは色付き始めましたが、小鳥が啄ばむ様子はありません。
赤く熟した千両、万両が小鳥たちの好みのようです。

すすき
今年はすすきが9月の終わり頃から穂を見せ始め、
10月の今、すっかり出揃いました。



 
 
 
 
 
 
 

2010年晩秋の彩り
 穏やかに季節が進んで、庭に赤と茶とが広がって行きます。わずか2週間の間にピンクやブルーはすっかり姿を消して、夏の名残はもうどこにも見当たりません。この時期の主役は何と言っても楓でしょう。はなみずきから始まった我が家の紅葉は、今は姫しゃらも終りに近く、楓に移りつつあります。道に面して立つ姫しゃらから絶え間なく赤い葉が降りそそぎ、道を染めています。風情はまことに結構なのですけれど、これが何処までも軽やかに飛んでいきますから、時間さえあれば箒を使っています。楽しませてくれたのですから、文句は言いませんけれど。それにしても気持ちの良い気候です。暦の薄さなど忘れて、のどかな陽気を楽しんでいます。 

庭の赤

一ヶ月前には未だ緑色だった千両と万両が色付き、ピラカンサは色を増しました。
庭は赤一色の観があります。温もりを感ずるのはそのせいなのかも知れません。
ひとときの明るく、晴れやかな日々です。


姫しゃら


どうだんつつじ

ピラカンサ

万両

千両

 
 
 
 庭でさえ紅が進んでいるのですから、ちょっと足を延ばして燃え立つ紅を見たいと、母と義妹を誘って箱根へ出かけました。11月10日のことです。もう紅葉は強羅まで降りてきていました。箱根美術館、三河屋蓬莱園は見頃でした。前日9日に大風が吹いて、芦ノ湖周辺の高台や山の楓は風に煽られ裸木になっていましたが、プリンスホテルの紅葉はまだ彩を保って見事でした。目と心を楽しませてくれる旅になりました。

三河屋旅館蓬莱園のもみじ

楓さまざま(蓬莱園)

 

箱根美術館を上から見る

空を覆う紅(箱根美術館)

箱根美術館では、日がちょっと翳ってしまいましたが、
後は終日碧い空に恵まれました。

一面の紅(箱根美術館)

 

プリンスホテルの前庭に聳え立つ楓

 

冨士、芦ノ湖、鳥居

成川美術館裏手の山の中腹からの眺め。
冨士に雲はかかっていますが、雪は未だ見えません。
 

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