陶芸家 高鶴 元先生 Potter Gen Kozuru in Topsfield 高鶴元先生のトップスフィールドのお宅を夫と共にお訪ねしたのは、1992年春のことです。夫の親しい方からご紹介いただいてのことでした。 トップスフィールドのexitを出て、地図を頼りに走る住宅街に赤、オレンジ、黄色などの色鮮やかなモニュメントを見つけ、直ぐに先生のお宅と知れました。広大な敷地の中にお住まいと工房があり、工房には大きな窯が築かれていました。この地に築窯された頃のご苦労話を伺いながら、ロブスターの昼食をご馳走になり、お作を拝見し、工房をご案内いただいたその時から、今日まで18年に及ぶお付き合いをさせていただいています。 先生は1938年生まれ、福岡県上野の上野焼の窯元のご出身で、お父様は陶芸家高鶴夏山さん、ご長男も陶芸家の高鶴大さんです。 1980年ハーバード大学のfellow(客員研究員)としてご家族共々渡米された先生は、その2年後にはトップスフィールドに築窯なさいました。静かで美しい田舎町トップスフィールドに窯を築くにあたっては、当然地元の反対も多く、理解を得る為のミーティングや、街との話し合いを繰り返されたそうです。結局トップスフィールドが住宅地であるために、薪による登り窯は許可されず、ガス窯の設置を許可されるまでに1年以上の月日を費やしたと伺っています。 その後はその地での精力的な制作活動に入られ、茶陶器、花器、置物、食器、オブジェ、オーナメントばかりでなく、パブリックアートにも力を入れられ、モニュメントの制作も多数手がけていらっしゃいます。日本での毎秋恒例の「高鶴元」展は新宿小田急デパートと福岡岩田屋で、その他にも杉並や鎌倉の陶磁器店で個展を開かれたり、2008年には古希を記念して、ボストンでの規模の大きな茶陶の個展もなさいました。
昨年暮にNHKのラジオ番組(こころの時代)に出演なさった時のCDが、今年の春先に先生から送られてきました。心に届く内容の濃いお話でした。「自分の先祖は朝鮮から渡ってきて上野でやきもの作りをした。私は日本からアメリカに渡り、トップスフィールド(上野)で制作をしている。そこに何か符合するものを感じる。上野の釉薬をボストンへ持って行き、作品に施しても同じ色は出ない。漆塗りの工程のように、上野の灰釉を下地にして、その上にボストンで考案した鉱物釉を重ねてみた結果、そのどちらでもない新しい、味わいのある色を出すことが出来た。伝承とは、受け取ったものをそのまま次に引き継ぐことではない。受け取った台木に新しい接ぎ木をして21世紀の上野焼を作ることが自分の使命だと思う。自分にそれを託した先祖の無名陶工の声なき声が聴こえるような気がしている」という主旨のお話が非常に印象に残りました。先生のあの溢れんばかりの活気と生命力、そしてエネルギッシュな制作活動の源は、先生御自身の才能と強靭さに加えて、受け継いでこられた先祖の方々の魂の後押しがあってのことなのかもしれません。 今秋の「ニューイングランドの風」シリーズ7回目は、「高鶴元渡米30周年展」と副題を付けて10月27日から始まりました。「この春から心象的な作品が生まれているのも不思議な節目と思っている」とお便りにあります。今日11月1日、その作陶展を友人と拝見しに伺いました。入り口のショーケースにはいつも先生のその年の代表的なお作が展示されています。今年は深いブルーに包まれたオブジェが2点、私達を迎え入れるように飾られていました。先生はいつも通り、つやつやとしたお顔でにこやかに大勢の来館者に応じていらっしゃいました。色の変化についてお訊ねしますと「高鶴レッドから次第に高鶴ブルーに移行していこうと思いはじめている」とのお答えでした。1280℃で焼かれるという深い碧には瑠璃色の細かい点描がなされ、その2色の調和が作品に更なる趣と深みを加えていると感じました。力強さとぬくもりと躍動感をこの度もたっぷりと頂いて、しあわせな思いで帰宅の途につきました。
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