ボストンで出会ったartists
(The artists I saw in Boston)

 私のショウーを企画してくれたローレンスは、前にも書きましたが、彼女の家をサロンのようにいろいろな
アーティストや学者に開放していました。
自身も詩を書き、絵を描く人でしたから、詩人や画家が多かったのですが、中には音楽家、
哲学者、心理学者、数学者など、そしてローレンスのご主人の関係で弁護士の何人かと実に多彩な顔ぶれが
揃っていました。 
言葉の関係でもっぱら聞き役に廻っていた私に引きかえ、夜の集まりに途中から参加し始めた夫が、
音楽や絵画、歴史などの知識を活用していつも話題の中心にいるのは羨ましい限りでした。
 彼女の昼のサロンでしばしば会い、親しくなった画家が二人いました(3人展をした画家とは別に)。
DuclionNatashaです。Duclionはジンバブエから来たという白人で、Natashaは白系ロシア人でした。
二人とも複雑な経緯でアメリカに来ていたようですが、
そうした話題は殆ど出ず、絵画や音楽の話に花が咲きました。
この二人の絵の彩が好きで何点か日本にも持ち帰りました。
 私達がボストンを去った後、ローレンスの一家はニューヨークに移りました。
今ではクリスマスカードでお互いの消息を知る程度の付き合いとなり、
ダクリンやナターシャとの繋がりは無くなりました。
でも今も居間やファミリールーム、寝室の壁を飾る彼女達の絵は、私に良き日々の思い出を語りかけてくれています。

ダクリンの絵(Oil paintings by Duclion)


ナターシャの絵(Oil paintings by Natasha)



 
やはりボストンで出会いその作風に惹かれた陶芸家にToru.Yabe(日本人ですが、漢字が分かりません)さんと
いう方がいました。
日本との繋がりの深い人たちの集まりボストン日本協会の新年会でお会いしたのが最初でした。
庭園の設計をやっているA.さんとToruさんがボストン協会の新年会での獅子舞の足になっていました。
彼が「庭師と窯屋の獅子舞」と自己紹介されたのが印象的で、その会の間中ずっとボストンでの陶作活動の話を
聞かせていただきました。Harvard大やDeCordova美術館で大勢のお弟子さんの指導をしながら、ご自身も活発な
創作活動をしていらっしゃるご様子でした。
個展にも何回か伺い、夫と私の好みの作品を何点かいただきました。ご覧のように茶道具として使えるものが多く、
アメリカの土と釉薬で日本の雰囲気を巧みに出した作品です。

Yabeさんのやきもの(Pottery by Mr. Yabe)
 茶道具を作っていらした関係からか、お茶の裏千家ボストン支部の方たちとの深いお付き合いがあるようで、
茶陶器を多く作っていらした関係からでしょうか、裏千家の方たちとのお付き合いも深かったようで、
個展の受付では裏千家のアメリカ人のお弟子さん達がせっせとお手伝いをしていました。
 Toruさんの教室にはとても魅力を感じながら、アメリカではアメリカ人の指導を受けてみようと思っていた私は
その方の陶芸教室には参加しませんでしたが、しばしばお会いする機会を作って、お話を伺うのを楽しみにして
いました。
 私達が帰国して数年後、まだお若いままに旅立たれたと風の便りにききました。
今もいただいた抹茶茶碗や鉢は毎日のように取り出して愛用しています。Toruさんもまたボストンでの
良い思い出の中に、今も住んでいてくださる方のお一人です。
 

 ボストンでお会いした方の中にもうお一人忘れられない方があります。
やはりボストン日本協会主催のある晩餐会での出来事でした。
食事が始まる前に食前酒片手におしゃべりしていると、協会の秘書からある日本人の紳士を紹介されました。
人間国宝の島岡達三先生(a living national treasure Tatsuzo Shimaoka)でした。

A plate and a vase by Tatsuzo Shimaoka

先生が日本でどれほど凄い方かを知らない秘書は、恐れ多くも「Mrs. Nittaもpotterなのよ。話が合うんじゃない」と
とんでもないことを言って、さっさと立ち去ってしまったのです。
取り巻きの方もいない外国で、何処の馬の骨か分からぬ人間と二人きりで置き去りにされてしまった先生は
当惑しきったご様子で立ち尽くしていらっしゃいます。
私のほうだって困惑しています。申し訳ないことに当時は先生のお作を見たこともなく、作風すら存じ上げて
いなかったのです。それにpotterなどと紹介されて、消え入りたいほどに恥じ入ってもいましたから。
私の質問にポツポツと返事はしてくださいますが、ひどく寡黙でご自分からは何も話されない先生との間に会話は
すぐに途絶えてしまいます。双方ともに途方に暮れたままに時間が過ぎていきました。
今、縄文象嵌と名付けられた繊細で気品に溢れたお作の数々を拝見していると、得難い機会を逸してしまったこと
が悔やまれてなりません。でも一方で、ご自身の偉業を誇るご様子もなく、ひたすら控えめでいらし先生のお姿に
接することが出来た幸運を思います。あの時のちょっとユーモラスな情景を思い出すとき、ひとりでに顔と心が
綻ろんでくるのです。
 

やきもの表紙